ブログ特別不定期連載記事「懐かしの名盤ジャンジャカジャーン」である。音楽と密接に生きてきた昭和40年男にとっての名盤を、僕の独断でセレクトしていこうというもので、 今回はクイーンの名盤についての4回目だ。クイーンは僕ら昭和40年男にとって密接だった方も多いことだろう。さて、僕が選ぶ一枚は?
少ないお小遣いを投資し続け『フラッシュ・ゴードン』(’80) までの9枚をすべて揃えて聴きまくっていたが日々が過ぎ、やがてマイ・フェイバリット・バンドの座からあっけなく滑り落ちてしまった。一時は華美で甘いクイーンサウンドを完全否定するほど離れてしまう。そのまま放置されていたアナログレコードたちはかわいそうだった。しばらくの時間を経たある日の夕刊で、ヴォーカルのフレディ・マーキュリーがHIV感染による合併症で亡くなったことを知った。ひどく悲しい衝撃的な事件だった。ロックスターにこんな死に様は考えられない。1991年のことだから僕はもう26歳になっていて、そのころは重度のブルース中毒から抜け出して、スクエアに音楽を楽しめるようになっていた。僕を音楽の素晴らしい世界へと誘ってくれたクイーンだから、追悼の意味を込めて『ホット・スペース』(’82) 以降のすべてのアルバムを聴いたのだった。慣れ親しんだ9枚も聴き直した。昨日も書いたが、前作の成功で練り上げたもののぶち壊しっぷりに、あらためて感心させられたものだ。もちろんかつて聴きまくった世界観にも、あらためて感動した。
ラストアルバムである『イニュエンドウ』は、初期のサウンドっぽい要素が散りばめてあり、涙を誘う。そしてなんといってもラストの「ショウ・マスト・ゴー・オン」はいろんな意味ですごすぎる。ラストアルバムのラストナンバーで幕は降ろさないと宣言するのは、なんともクイーンらしいではないか。フレディの歌いっぷりときたら、もう完全に自分の死を覚悟しているかのように聴こえる。死の10ヶ月前だから、まだまだそんなつもりではなかっただろうが、結果的に死んでもなお幕を降ろさないという悲しい宣言となってしまった。
そういう感情もひっくるめてであるが、クイーンのベストナンバーとして僕が選ぶのは「ショウ・マスト・ゴー・オン」である。あれっ、ベストアルバムの話じゃなかったっけ? まあまあ、もうちょっと引っ張らせてよ。なんてったって僕にとっては洋楽への第一歩となったバンドだったのだから。
つづく → (5/5)
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