国民的歌番組、「NHK紅白歌合戦」(以下、紅白)は今年令和元年の大晦日の70回目という節目を迎えます。近年ではかつてのような視聴率を獲得できず、人気が低迷していると言われていますが、昭和40年男世代の幼少期~青年期は、ほとんどの国民がテレビにくぎづけになったほど! そんな紅白の出場リストから、その年のヒット曲や話題の歌手を振り返ってみましょう。第4回目は「新御三家」「花の高一トリオ」が初めてそろった、 昭和49年・第25回大会です。
紅組トップバッターは山口百恵「ひと夏の経験」
前年まで12年連続で司会を務めた宮田 輝アナウンサーがこの年退職したため、司会の顔ぶれにも変化を感じる年となりましたが、紅組はなんといっても「ひと夏の経験」山口百恵、「黄色いリボン」桜田淳子の初出場で高一トリオがそろって出場となったことに注目が集まりました。特に山口百恵の歌は、アイドル歌手が歌う「女の子のいちばん大切なものをあげる」という歌詞が、当時の歌謡曲界ではセンセーショナルなものでした。対して白組も、西城秀樹が「傷だらけのローラ」で初出場し、新御三家初のそろい踏みとなりました。アイドル時代の真の黄金期が始まった年と言っていいでしょう。
一方で、16回目の出場となったザ・ピーナッツは、翌年引退を発表したため、結果的にこの年が最後の紅白出場となりました。美空ひばりや江利チエミらが自ら退くというなか、梓みちよが「二人でお酒を」のヒットで、5年ぶりの返り咲きを果たしたのはベテラン勢を応援するファンにとっては明るい話題となりました。大きなイメージチェンジと言える歌唱スタイル、長い紅白の歴史の中で、後にも先にもステージ上であぐらをかいて歌った唯一の歌手ではないでしょうか!
「こら!鉄矢!」と、二つの「襟裳岬」
「歌」はほんの少し。母への思いを語った長い博多弁のセリフ(語り)で綴られた、異色の歌が大ヒットしました。歌ったのは、後に金八先生として不動の地位を築く武田鉄矢率いる海援隊。同じく、田舎から出てきた若者にとっては実家の母を想う歌に共感した人も多かったことでしょう。
そして異色といえば、こちらも!殿キンこと殿さまキングス「なみだの操」が前年11月の発売から3ヶ月後にランキングトップ10入りし、じわじわと売れ、ついにこの年の年間1位に輝くという快挙を成し遂げました(累計売上は約250万枚)。前年、前々年のぴんからに続き、異色演歌が大ブレイク。異色と言っても、歌そのものはいたって真面目なコテコテ演歌、もともとコミックンバンドだったという経歴と「殿様」なのか「王様(キング)」どっちなんだ?というグループ名にインパクトがありました。
そして、同じタイトルで違う歌がそれぞれ紅白のトリとなったこともこの年の紅白では話題となりました。日本レコード大賞を受賞した大ヒット曲、森 進一の「襟裳岬」に合わせて、島倉千代子が自身の曲で、1961年に発売された「襟裳岬」を選曲したと言われています。こういった同名曲対決はなかなか珍しいパターンでした。
子供は出られない…
この年の大ヒット曲を語るうえで外せないのがフィンガー5「学園天国」、前年12月に発売された「恋のダイヤル6700」のミリオンヒットです。沖縄から上京してきたきょうだいグループは、子供ながらに大人顔負けのファンキーっぷりで、一躍大ブレイク!この歳で下積みも経験もしている努力のスーパーキッズです。 同じ年頃のアイドルの活躍がまぶしく感じたという昭和40年男世代も多かったことでしょう。しかしながら、メンバーの晃くんと妙子ちゃんがまだ小学生と中学生ということで、夜の番組への出演はNG、国民的スーパーアイドルの紅白出場は残念ながら叶いませんでした。
※当時のレコードジャケットなどは、「昭和40年男」6月号増刊「俺たちの胸に刺さった昭和ソング」P12~13に掲載されていますので、あわせてご覧下さい。(「昭和40年男」編集部・まつざき)