俺たちが10代の頃、空前のバイクブームが巻き起こり日に日に過熱していった。メーカー各社は惜しげも無く新技術を注ぎ込み、ニューマシンをリリースするたびに俺たちを驚愕させた。16歳になったと同時に、校則違反の中免取得に走った同世代諸氏は多かろう。その渦中で、レースはその魅力の頂点であり憧れだった。
昭和53年に三重県の鈴鹿サーキットで8時間耐久レースが開催され、昭和55年の第3回大会より世界耐久戦のひとつになり、その人気に火がついた。10万人以上の若者を動員する真夏のビッグイベントは若者たちを虜にした。読者諸氏の中にも、若かりし日に灼熱の鈴鹿を体験した読者諸氏がいることだろう。
ヤマハは昭和59年の8耐にファクトリー体制で挑んだ。しかし、レース終了の10分前にエンジンストップという悲劇が起こってしまう。雪辱に燃えたチームは、前々年に世界選手権で走っていたケニー・ロバーツを招聘し、国内レースのエースライダー平 忠彦とのペアで挑んだ。この頃の平は、甘いマスクと全日本チャンピオンに輝くその走りで、男たちにとって絶対的な存在だった。そこに手を伸ばしたのが資生堂で、彼をイメージキャラクターにして男性化粧品の『TECH21』のプロモーションを大々的に打ったのだ。そのまま、この年の鈴鹿8耐マシンに『TECH21』カラーを施して栄光へと走った。ゼッケン21は圧倒的な速さで周囲を寄せ付けず、最終のバトンを受け取った平がチェッカーを受けるはずだった。が、残り32分のところでまさかのエンジントラブルが発生してしまい、幕切れになってしまった。それはずっと語り継がれてきた、昭和60年に起きた負の遺産だ。令和元年となった今年、時を超えて雪辱を果たすためヤマハは『TECH21』カラーをたった1度限り復活させる。
ファクトリー体制の『YAMAHA FACTORY RACING TEAM』 はしばらく鈴鹿8耐から離れていたが、4年前に復活すると圧倒的な強さで優勝を決めた。そのまま現在4連覇中で、今年も当然ながら優勝の2文字しか見えていない。だが、ライバル勢も黙っておらず、ホンダも去年より、今年はカワサキもファクトリー体制で勝ちにいく。鈴鹿8耐史上、最高レベルの戦いになることは間違いない、注目の夏なのだ。
本日、『YAMAHA FACTORY RACING TEAM』の参戦体制発表記者会見があった。その模様をお届けすることから『YAMAHA FACTORY RACING TEAM』×『TECH21』×『昭和40年男』コラボ企画のキックオフとする。以後、サイトでは新しい情報が入るたびにリリースさせていただき、みなさんと共有していく。そして迎える7月28日の決勝にはぜひ鈴鹿にお越しいただきたい。ヤマハはあの最後の最後に逃してしまった栄光を取り戻す。俺たちは、熱く燃えた若き日の夏を取り戻そうじゃないか。
ここは資生堂にも一枚噛んで欲しかったですねぇ、限定で中身はUNOでもいいからTECH21化粧品復活とか。
それにしても今年は8耐に行かないと決めてからカワサキもヤマハもグッドニュース連発で、なんだかフクザツだ~