今日も最新号のご紹介、大編集後記といかせていただく。昨日ここに綴った通り、連載特集の『夢、あふれていた俺たちの時代』では改元を記念して初の平成元年をピックアップした。F1、ゲームボーイ、獣神ライガーなど気になる記事の中に『三宅裕司のいかすバンド天国』を入れた。取材させていただいたのは、審査委員長の萩原健太さんだ。当時のあの勢いについて語ってくれていて、注目の4ページである。
世はバンドブームだった。メジャーで大活躍するミュージシャン達を眺めては夢を見ていた。ライブハウスの動員を増やそうと、原宿のホコ天で営業したりもしていた。そんなある日、高校時代の友人がもうすぐ始まるアマチュアバンドの番組の企画書を持って僕の前に現れた。卒業式の日、別れ際に「北村くんが大暴れできるように業界で待っている」と、僕の音楽を好いてくれていた彼女と卒業以来の再会は、まるでウソのような話だが『イカ天』出演の誘いだったのだ。卒業式で約束した通りだと胸を張る彼女が広げた企画書で、僕が気に食わなかったのは3分という持ち時間と、画面が小さくなる図が記されていたことだ。「こんなふざけたところでできない」と、僕は彼女のせっかくの誘いを簡単に踏みにじった。後に、やはり高校の同級生がベースで出演したのを見つけてびっくりしたが、彼女の誘いかどうかはわからん。なんせあれ以来音信不通だ。
これ以前にも、同じようにチャンスを台無しにしたことがある。高校時代に知り合ってメジャーに行ったシンガーが世話になったという、音楽事務所直結のスクールを紹介してくれた。特待生で迎えるからメジャーに行こうと言ってくれたのに、レッスンの始まりがみんなで腹筋運動だからカッコ悪いと断ってしまった。今思えばバカ者である。だが当時は、ロックでないことを極端に嫌った。画面が小さくになるのも、腹筋運動をさせられるのも、僕の中ではロックでないのだ。腹筋は隠れて自分でやるものだ。と、やはりどう考えてもバカ者である。今回の記事を眺めながら、番組スタートの出演を断ったシーンを何度も思い出した僕だ。
その後、番組はご存知の大フィーバーとなり、実に多くのスーパーバンドを輩出した。FLYING KIDSの浜崎貴司さんは『昭和40年男』に登場しているし、たまの石川浩司さんも、即席メン特集に登場してもらった。出演しなかったが、ちゃっかり世話になっていておもしろい。
個性的なバンドが次々と登場する中で、僕が好きだったのが前述の5週勝ち抜きバンドはもちろん、たまに続いて5週勝ち抜いたマルコシアスバンプやBEGIN、『バラ色の人生』を歌ったGENなんかも大好きだった。そしてあの番組で僕がベストソングにあげるのはなんてったって『二枚でどうだ』だ。彼女が今夜は危ないと言うから「よーしわかった、二枚でどうだ」とアンサーする名曲は、後にライブLDを見つけて購入したほど愛していた。バンド名を宮尾すすむと日本の社長と名乗ったのも、僕に全くないセンスで痺れた。そんなバンドに混じって出演したところで、全く歯がたたなかっただろうな(笑)。