昨日の続きである。我々にとって大きなピリオドとなったアナログワールドとは? 『ぴあ』の休刊である。出版界における休刊とは限りなく廃刊に近いのだが、一応いつでも復刊できる立場として休刊と名乗る。ずいぶんと前から騒ぎにはなっていたので気になっていた。そして発売日の朝刊に、カラー全段で展開された目立つ広告を見て、その日の昼休みに書店に駆け込んだ。
昔々、バンドを組んで夢を見た時期があった。高校生になると、いっちょまえにライブハウスに出演するようになり、『ぴあ』にバンド名である『WOODPECKER』の文字が刻まれた日は狂喜乱舞したものである。当時の気持ちとしては新聞に載るよりもウレシイ気分だった。だってさ、常に遊びの情報源の真ん中にいた雑誌だったからね。
創刊は39年前とのことで、僕たちが小学1年生だった頃である。その創刊号の復刻版が付録でついている。これ泣けるよー。めくっていくと来日アーティストの欄にぬぁんとディープ・パープルの文字があるじゃありませんか!! それも他の情報と同じ大きさで!! 後に『ライブ・イン・ジャパン』として発売された武道館公演の告知で、うおーっと燃え上がってしまった。S席2,700円だよ。当時のLPがだいたい2,000円〜2,500円だったことを考えると、今よりお値打ち感があるね。今はCD1枚3,000円に対して、1万円以上のチケットがほとんどだもの。
編集後記をのぞくと「半年以上の準備期間を経て、やっと創刊ににこぎつけました」とある。今見るとこれにどうして半年かかるのだと、あらためて情報ハイウエイ(死後)の発達に感心させられるばかりである。同じく編集後記にはこんな言葉もある。「標的を私たち若者にしぼり」と来たもんだ。ターゲットじゃなく標的っす。いいねえー。「標的を私たち昭和40年男にしぼり」と、いつかどこかに書きたいななんて思ったりしてみた。そうそうつい先日、問屋営業担当からバカ売れらしいとの情報が入った。みんな若いころに1度はお世話になった世界を、まさに永久保存するのですな。
『ぴあ』はいつの時代も変わらず、情報検索ツールとして存在したが、だんだんと必要でなくなっていったことは言うまでもない。アナログで情報検索する時代は終焉を迎えたのである。そういえば僕自身、ずいぶん前のことであるが広辞苑の最終版を買ったものの、言葉を調べるのにただの1回も使っていない。何度か開いては、辞書って面白いなとか紙の感触はいいなあとか懐かしむだけで、機能として便利なものではなくなっている。
デジタルは生活を一変させて、本当に便利になった。そこに少々の寂しさを感じてしまうのは、昭和40年男の正直な感情である。