明日は東京がひとつになる日だ。会社のすぐそばがコースになっていて、編集部を抜け出してちょいと覗いてきた。祭の準備で慌ただしい街だ。そりゃそーだ、3万5000人を超えるランナーを迎えるのだから。この写真地点は右から左の往路が33㎞ちょっと手前で、品川で折り返してくる。復路では38と39㎞のほぼ中間だからランナーの皆さんにとっては、特に復路は最もキツイあたりになる。
第1回が開催された時の終了翌日から始まった、マスコミのネガティブキャンペーンに辟易としたのが記憶に強く残っている。雨の大会だったから、スタート前に差していたビニール傘が大量に捨てられていた。それを、ほら見たことかと写真に収めた週刊誌の記事は見事だった。みんな石原さんが嫌いだったんだね(笑)。
あの時はうちの会社の者が2人走った。会社近くの写真のポイントあたりに応援に行ったのだが、今のように応援アプリなんかなく、予想タイムでひたすら待ったから体の芯まで冷えて、ラーメン屋へ直行したほどの極寒と雨だった。2人とも僕の誘いでなんとなくマラソンを始めた。なので、こんな悪コンディションで申し訳なく思うほどだった。が、完走した2人の感動っぷりったら羨ましくなるほどで、東京の素晴らしさを知ったと受けた報告と、報道のギャップに笑っちゃった僕だ。
その後も東京マラソンは続き、これまでにどれだけの市民ランナーを生み出しただろうか。東京だから応募する。当たったから走る。ゴールの感動は誰1人として変わらないから虜になる。いいスパイラルで、走ることの喜びを見出すのだ。そうしてランナーが増え続けていて、東京の抽選に外れたランナー達が、僕が毎年エントリーしている『全国勝田マラソン』に流れてきているのだ。3,000人規模の大会だったのが、今や1万人をかる〜く超える大会になった。東京マラソン効果である。
今現在、東京近郊にエントリーしたランナー達が集結して、一人ひとりがそれぞれに緊張と期待に胸を膨らませていることだろう。この写真地点の往路ではまだ余力があっても、復路ではガクンときているランナーがきっと多いはずだ。尊敬する高橋尚子さんは、温存とよく言っていた。もちろん、温存しすぎてゴールで残っていたらイカンが、復路のこの地点で笑みを浮かべることができたら、きっとベストタイムに近いはずだ。明日は『昭和40年男』の読者もきっと多く走るだろう。うちの会社からも1人走る。みんなみんな、がんばれ、がんばれ。