3月に突入して、いよいよ元号が変わる日まであと2ヶ月となった。平成の時と大きく異なるのは、当然のことながらあの時のような暗さがないことだ。全く異なる改元を経験できるのだから、しっかりと記憶にとどめておきたい。
そんな時代の変化をこれまで色々と経験してきた俺たちだが、今振り返ってどこがもっとも大きな変化だったかと考えてみた。なるほどやはり、昭和から平成は空気の変化が大きかったように思える。そしてもうひとつが、今日のタイトルである昭和55年、というより1980年だろう。まだ中3のガキだったから後付けな感覚もなくはないが、明らかなそれまでと色が異なっていた記憶が強く残っている。
70年代が後半になればなるほど、世の中がザワザワとかキラキラした感じを帯びていき、空気が変わっていく感じを子供ながら強烈に感じ取った。後につながっていく、ナウでヤングの強迫観念(!?)を体験することになる我々に、その風が吹き始めたのだ。そして迎えた80年は、まず身近なところでテレビ番組が浮かれた感じになった。若手芸人たちが、次々に新しい笑いを吹き込んできた漫才ブームだ。ドリフが古びた感じになっていくのをさみしく思いながら、心の中でドリフを擁護した僕だった。
音楽もそうだ。70年代後半からテクノが最先端を引っ張った。前年にリリースされた『テクノポリス』は、それまで経験したことのない世界に連れていってくれた。それ以前に描いたどんな未来よりも、音だけなのに東京の未来をリアルに感じさせられた。キラキラした未来だ。
洋楽シーンでも数えきれないほどのトピックがあった。1つあげれば、俺たち世代にとってのアイドル、オリビア・ニュートンジョンが変革期を迎えていた。『オリビアを聴きながら』のオリビアは70年代までで、80年にシングルヒットさせた『マジック』は翌年に俺たちを大興奮へと陥れた『フィジカル』へのブリッジとなっている。同じく80年のヒットで『ザナドゥ』も目一杯のキラキラ感を放出している。
と、3月11日発売号の最終の詰め作業をしている今日、こんなことを書いているのは次号の影響が色濃くあるな。さてさて次号の特集はなんでしょうね(笑)。