大阪ベイブルース。

眠りから覚めきっていない街。その道を照らす明かりが舞う粉雪を映し出す。腰を丸めて歩く枯れた男が向かうのは始発電車を待つ駅だ。な~んて、詩的なのは似合わないのでやめましょう。でもね、今朝見た街灯に照らされた粉雪はなんとも幻想的で僕を詩人にさせちゃったのだよ。

 

今日の仕事現場は大阪のフェスティバルホールで、大阪へ日帰りの出張である。呑み仲間がたくさんいるってのに知らせず(このサイトでバレるだろうが)に、始発で来て終電で帰る。大好きな大阪に日帰りってなんだかすげーもったいないけれど、お仕事なんだから仕方なしだ。

 

大好きな大阪としたが、僕は大阪に住んでいた時期がある。音楽に夢を描いていた少年北村は、その修行の地に大阪を選んだ。タイガースが最も輝いた昭和60年のことだ。19から20歳になる節目の年で、あの時にボロボロの暮らしを経験できたことはその後の自分にとってどれほどの財産となったことか。四畳半一間のトイレ共同のアパートは今もしっかり残っていて、当時でもだいぶ疲れていた建物だったからえらいこっちゃ。そしてよくぞまだ未成年だった僕を両親は送り出してくれたものだ。大阪に行ってくるとだけ言い、住む場所も働き先もないガキを信じてくれた。エレキギターと洋服の入ったバックひとつで旅立った僕を心配しないはずはないはずだが、快く笑顔で、そしてご馳走をこしらえて見送ってくれたのだった。

 

と、そんな親父の今日は生きていれば87歳の誕生日だ。この記念日と大阪出張が重なり、あの日の親父の姿と感謝の気持ちがあふれている。今日は親父の誕生日祝いにめいっぱい仕事に励もう。本当はここの舞台に立つ仕事をしている予定だったのだが、おっかしいなあ(笑)。

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