【懐かしの名盤】ローリング・ストーンズ 『レット・イット・ブリード』(2/4)

ブログ特別不定期連載記事「懐かしの名盤ジャンジャカジャーン」昨日スタートさせた。本日は引き続きローリング・ストーンズの話だ。

洋楽に目覚めたは、高い向学心 (!?) と集中力を持ってロックの巨人たちを掘り進めていった。シリア・ポールさんから紹介された「ミス・ユー」や「エモーショナル・レスキュー」に魅力は感じなかったものの、過去の作品を掘り進めていった。ストーンズは昨日も書いたとおり、“知らなければならない” 存在だったからだ。織田信長や徳川家康を学ぶ気持ちと同じだ。

当時のFM局は、長時間に渡ってのアーティスト限定特集みたいなものをたくさん流してくれた。レコードなんかそうそう買えるものでない僕らにとって、ものすごく重宝したものだ。確か中3の夏休みだと記憶している。デビューアルバムから順々に、名曲ばかりをピックアップして流してくれる大型番組があった。そのラインナップは強力で、もちろんストーンズの日もあり、「テル・ミー」で始まった番組を丸ごと録音して大切なテープとなった。聴き込むうちにハマっていったストーンズの全盛期は、’60年代の後半から ’70年代の中期だと知った。ちょうど僕が出会ったころは、やや苦しい時代である。『ベガーズ・バンケット』から、今回イチオシとする『レット・イット・ブリード』(’69) 、『スティッキー・フィンガーズ』(’71)、『メイン・ストリートのならず者』(’72)、『山羊の頭のスープ』(’73) 、『イッツ・オンリー・ロックンロール』(’74) あたりまでは本当に素晴らしい。創作のエネルギーが最も充実して、アイデアが次々と湧き出てくるのだろう、それらが作品に惜しみなく注ぎ込まれている。年齢的なこともあるのかな? 20代中盤から30歳くらいまでの、何をも恐れない時代であり、ロックシーン自体もそんなことだったのだろう。そこら辺の時代背景は、またの機会に書こうと思うが、ビッグビジネスへの移行期であり、作品や演奏もまさに黎明期で次々と新しいムープメントが起こっていた頃だ。ここにストーンズはしっくりとハマったのだ。

同時に ’60年代後半から ’70年代は、多くの天才ミュージシャンが一気にスターダムを駆け上がりながら、そのプレッシャーや激変した生活、その他さまざまな要因により薬物依存などになって死んでいった。ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンなど、数え上げたらきりがない。ストーンズも同様に薬物に依存したが、ストーンズの中心人物であるミック・ジャガーとキース・リチャーズは死ななかった。やがてすっかりと健康的になり、ロックシーンにますます巨大ビジネスを持ち込んでいった。最も成功したロックバンドであることは間違いないが、最も優れたバンドだったかというと、そこには「?」マークが付く。もっと演奏の優れたバンドはたくさんあるし、もっと素晴らしい楽曲をたくさん持っているバンドだってたくさんいる。ではなぜストーンズなのか? 次回は核心へと踏み込むよーん。
 
つづく → (3/4)

前回 → (1/4)
 

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で