昭和40年男の少年時代は、決して楽しいことばかりじゃなかった。今思えば笑っちゃうようなことでも、俺たちは真剣に悩み、戦っていた! ここではホロリと苦い「悲惨な戦いの記憶」を通じて、昭和40年代&50年代という時代を振り返ってみたい。
憧れの彼女が歌い出したら、息を殺して録音ボタンをON!
俺たちがガキの頃、いつも茶の間には歌謡曲が流れていた。『NTV 紅白歌のベストテン』に『夜のヒットスタジオ』『ザ・ベストテン』。そして『カックラキン大放送!!』や『ヤンヤン歌うスタジオ』『小川 宏 ショー』まで必ず歌のコーナーがあった。
だが、当時は家庭にビデオデッキなんてないし、テープレコーダーさえ高嶺の花、好きな歌が流れても記録できない。レコードもぜいたく品で、本当に欲しい1枚を、拝み倒して買ってもらうのが関の山。だから俺たちは、好きなアイドルの曲が流れようものなら、周囲の雑音を一切遮断して全身全霊で聴いた。当時はどの番組に誰が出るか詳しくわからなかった。だから大好きな榊原郁恵ちゃんが『ぴったしカン・カン』とかに突然出て曲を歌い出した日には、食べかけの晩飯が大好物のS&Bゴールデンカレーだったとしても放り出して、テレビに駆け寄って聴いた。とにかく聴いた。
そんなある日、一大転機が訪れる。テープレコーダー「カペット」が我が家にやって来たのだ。片手で持ち運びできる、オレンジ色のかわいいカペット。テレビで郁恵ちゃんの曲がかかれば、録音口をテレビのスピーカーに大接近させて録音した! …そう、カペットはテレビやラジオ番組をダイレクトには録音できなかった。会話はもちろん、紙がカサカサ触れ合う音まで、律儀に録音してしまう。だから録音中は息を殺して集中、無言の行を強いられた。だがそんな努力をアザ笑うように電話が突然ジリリと鳴る! 救急車がサイレンを鳴らし、焼きイモ屋が通りかかる! 我が家でカペットに録音された「夏のお嬢さん」には「ご飯よー」「黙っててよ!」という母と僕の会話がしっかり録音されている。
しかし続いて我が家はラジカセを導入! ラジカセなら歌番組を、石焼きイモに邪魔されずダイレクトに録音できる。カペットはオモチャ箱の隅に追いやられ (ああ無情) ラジカセで録音三昧。
当時はラジオの歌番組といえば、日曜午前の『不二家 歌謡ベストテン』と、午後の『決定! 全日本歌謡選抜』。『歌謡ベストテン』の司会はロイ・ジェームスさん。ユーミンが歌う『ソフトエクレア』のCMも聴きつつ、ロイさんイントロ中の曲紹介はやめてほしーなと思いつつ録りまくった。『歌謡選抜』のイントロ曲紹介はもっとすごかった。司会の小川哲哉さんの相方、丹羽たか子さんが、イントロの間しゃべりまくり! 今思えば違法コピー防止的な意味もあったのだろうが、当時は「黙ってくれ、たか子!」といつも思っていた。
さて、当時の俺たちも「録音したものを自分で聴く分にはいいけど、売ったりすると罪になる」ことはなんとなく知っていた。その頃の著作権法では、私的使用のための著作物を自由かつ無償で録音録画することが認められていたのだ。それが録音機器や記録メディアの発達により、’92年に法改正され、私的録音録画について著作権者への補償金支払いが原則必要となる。でもそんなの無理なので、特定の録音機器や媒体の価格に補償金を上乗せし、購入時点で実は一緒に払っているシステムに変わったのだ。知らなかったよ俺。
最近は音楽教室の楽曲使用にJASRACが「金払ってちょ」と言い出したり、著作権が気になる時代。一方でアーティストの新曲情報は、リリースのかなり前からわかっていて、配信と同時にダウンロード。お気に入りの曲をテレビで何度も聴き、拝み倒してレコードを買ってもらった時代が嘘のようだ。
今もヒット曲はあるんだろうけどなんだかな、全部同じに聴こえるのはトシのせいかなー。カペットで必死こいて録音していたあの頃が懐かしい。トシだねやっぱり。新曲出してくれないかな郁恵ちゃん。
文: カベルナリア吉田
昭和40年生まれの紀行ライター。普段は全国を旅して紀行文を書いている。この1月に新刊『ビジホの朝メシを語れるほど食べてみた』(ユサブル) 出版したからヨロシク! 去年出した『おとなの「ひとり休日」行動計画』(WAVE出版) 、『突撃! 島酒場』(イカロス出版) 、『何度行っても変わらない沖縄』(林檎プロモーション) 、『狙われた島』(アルファベータブックス) 全部ヨロシク! 2月17日には東京・世田谷の「かなざわ珈琲」で手料理つきバレンタイントークショーやるから来てくれよな!
【『昭和40年男』2017年 8月号/vol.44 掲載】