1月11日発売号の締め切りをなんとか乗り切った。年内の作業はまだまだ山積しているが、ともかくひとつ大きな山を乗り切ったのだ。ふーっ。てな訳で暮れらしく今年の『昭和40年男』の重大ニュースを振り返ろう。
4月終盤のこと、三代目編集長に就任した。初代が三代目に返り咲くという格好での就任は、大きなプレッシャーとなった。久しぶりにタクトを握ったから、1発目は得意な分野でぶつけることにしようと、これまでなぜか手を出してこなかった洋楽でやってみることに決めた。二代目による最終号の作業を眺めながら僕の頭は次号にぶっ飛んでいた。洋楽で僕が特集を組むということは、表紙はスプリングスティーンかストーンズ、はたまたボブ・ディランなんてやり過ぎかなと考察の旅が始まった。
洋楽が凄まじいまでの発展を遂げた70年代後半から80年代の頭は、昭和40年男にとってちょうど最も多感なころだ。さらに当時の洋楽の情報収拾は今よりはるかにハードルが高くて、手を出してハマった方はそのハードルを越えるためのなんらかの努力をしたのだと勝手すぎるが定義した。となると、あの時のうねりを特集にすべきで、僕が好んだロックより当時のシーンを賑わせた連中で作ることに決めた。
70年代後半から80年代の頭の洋楽の沸点は、そのまま日本における洋楽ブームにもつながっている。英米のチャートを輸入しながら、独自のトレンドが生まれた。これは日本の文化なのだと、僕は昭和洋楽と名付けた。そしてこの特集をそのままパッケージしたCDを出したいとソニーに持ちかけるとありがたいことにこの提案を快く受け入れてくれ、僕はまたまた新たな仕事を抱え込んだ。選曲とそのライナー、曲解説も引き受けたのだ。
特集のテーマが決まると、久しぶりの作業に燃えたぎった。作業は編集部員や外部の協力者の方々に多くを委ねて、僕は方向付けやタイトル周り、表紙などのフレーム作りに終始することにした。そもそも僕の編集長としての信念は「自分が作った」と言っていただける方が多ければ多いほどいい雑誌になるというものだ。その信念のままに雑誌らしい、いい意味でとっ散らかった特集をめざした。
7月11日、めでたく書店に並ばせることができ、この号はおかげさまでよく売れた。9月に発売になったソニーのCDも上々とのことで、新体制の編集部はなんとか新しい一歩を踏み出せたのだ。今年のもっとも大きな出来事だった。