【懐かしの名盤】ローリング・ストーンズ 『レット・イット・ブリード』(1/4)

さあさあ、お立ち会い。ブログ特別不定期連載記事「懐かしの名盤ジャンジャカジャーン」のスタートだぞー。たぶん数年がかりになるだろうからじっくりとお付き合いください。この連載は音楽と密接に生きてきた昭和40年男にとっての名盤を、の独断でセレクトしていこうというものだ。かなり偏っているはずだから、異論反論がたくさんあるだろう。そこら辺も含めて楽しんでちょうだいな。

記念すべき1枚目はローリング・ストーンズからのセレクトで、タイトルの通り『レット・イット・ブリード』(’69) をストーンズ最高の一枚に決定する。以後、昭和40年男は「ストーンズといえばレット・イット・ブリード」と言うように。まあ、わりと順当な決定だと思う。ストーンズの曲をリアルタイムで初めて聴いたのは「ミス・ユー」だった。「こんにちは、シリア・ポールです」でお馴染みの『ダイヤトーン・ポップス・ベストテン』の、確か年間ベストテンで仕入れた記憶がある。洋楽に興味を持ち始めた中1の時、土曜日の午後2時からのこの番組と出会わなかったら、人生はずいぶん変わっていたと思う。中高生で洋楽に興味を持った昭和40年男たちは、DJのシリア・ポールさんと、後の『ベストヒットUSA』の小林克也さんの二人とともに歩んだと言っても過言ではないはずだ。僕はシリアさんから紹介された曲に、書店の立ち読みと発売日に必ず買っていた『ミュージック・ライフ』から得た情報で肉付けして、そのミュージシャン像の正確性を増していった。ネットなんかないしね。げーっ、クイーンてなんか気持ちワリーとか、オリビア・ニュートン・ジョンさん、恋してしまいましたとかね。というわけで、洋楽入門期におけるシリア・ポールさんには本当にお世話になりました。

ストーンズに話を戻すと、僕にとって「ミス・ユー」はあまりのめり込む曲でなく、続いてシリアさんから届けられたのは、ミックがファルセットバキバキで歌う「エモーショナル・レスキュー」で、これも夢中にはなれなかった。ただ、ロックミュージックというものに触れていけばいくほど、ストーンズは “知らなければならない” 存在だということを知った。こんな感覚は昭和40年男より若くなればなるほどわからないだろうな。若いプロミュージシャンと話していても「僕って音楽詳しくないんですよ」と普通に言う。それでも作れてしまうほど音は氾濫しているし、ミュージシャンもジャンルも乱立した。自然と新しい音楽を吸収できる環境だから、音楽を作れるのかもしれないな。

昭和40年男は、少ない音源と情報の中から自分の好みの音楽を懸命になって探し出し、見つかると過去の作品へとさかのぼり、さらに付随してそのミュージシャンが影響を受けた音楽にまで踏み込んだりもした。これは結果的にはものすごくいい影響を受けたと思うが、現代に強要する気はない。僕らだって、音楽は常に自由に楽しんできたし、時代を映す鏡でもあると思うから。音楽だけでなく、僕たちはマスマーケティングが通用していた時代を生きた。それ自体を楽しんでいたということだね。

ちょっと逸れたが長い話だ、後日に続くよ (不定期連載だから、いつになるかわからないけどね) 。
 
つづく → (2/4)
 

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