昨日のこと、朝の食卓にこいつがいた。「へっ、もう冬だよ」と思わず声が出た。秋の味覚の帝王、生サンマをこの時期にいただけるとは生まれた初めてのことかもしれない。去年はさっぱり食えなかったサンマが、今年はたくさん食えて大満足であり、こいつでまた来秋までおさらばである。
サンマでよく話に出るのは、ガキの頃はわたの苦さになんの魅力も感じなかった事。味覚ってのは人生と共に成長するものだ。シンプルなものの悪底にあるうまさに感動するようになる。サンマの苦味もシンプルながら奥の深い味わいであり、ガキのころにわかるはずがない。そして僕にとってその頂点に立つ料理が、湯豆腐である。冬にサンマ食って夏でも湯豆腐をやるってのは粋人とは程遠い気がするが、湯豆腐のない暮らしは僕には考えられない。
僕のつぶやきでちょくちょく話題になるこの料理こそ、マグロの赤身と並んで最後の晩餐で食いたい双璧である。昆布の旨み。真ん中の湯のみに入ったカツオのダシが滲み出た醤油の旨み。そいつを吸ったネギと一緒にいただく豆腐ったら、奇跡的な出会いである。シンプルだ。シンプルながらこれぞベストマッチで、湯に泳ぐ昆布の質を感じられるほどに舌が喜ぶ。
ガキの頃は当然ながら心がブーイングしていた料理だ。ご飯を3杯以上食わないと気が済まない育ち盛りの僕に、こいつが出てきた時はカレイの煮付けと並んで飯をかっこむことが困難だった。ところがある日僕は発明した。豆腐をグチャグチャと砕いて、このネギ醤油と一緒にご飯にかけるとあら不思議、最高に美味しい湯豆腐丼が出来上がる。この発明によって、僕の最もつらい晩飯はカレイの煮付けとなったのである。これも今や大好物なんだから大人ってのはすごい。寒い今日は湯豆腐で一杯やりたいところだが、出張先のホテルでひたすらPCを打ち込んでいる。その合間に、こんなことを書きながら妄想をかき立てているのって何とも寂しいおっさんだなあ(笑)。