毎日懲りずに本ブログで駄文を垂れ流しているわけだが、ここらでテーマを決めた連載記事に取り組んでみようと思う。日々起こったことや取材記を織り交ぜながら、不定期でお届けするぞ。なにを始めるのかって? 編集長の独断でお送りする、その名も『懐かしの名盤ジャンジャカジャーン』じゃー。パチパチパチ。今回はその第一回目というわけだ。昭和40年男にとって音楽はとても重要なものだったと思う。なにも昭和40年男に限ったことじゃないとは思うが、ちょいと僕らと音楽との付き合いを分析してみよう。
まず、歌謡曲全盛の時代を小学生のときに享受した。次々と現れてくるアイドルたちから音楽の楽しさを教えてもらった。そして『ザ・ベストテン』の放送が始まり、歌謡曲は多様化の一途をたどっていく。やがてミュージシャン全盛の時代といえばいいだろうか、サザンオールスターズやゴダイゴといったロック系のバンドサウンドや、フォークソングがお茶の間に紹介され、学校での話題をさらった。
同時に洋楽にも少しずつ興味がわいてくる。キッスとベイ・シティ・ローラーズが牽引役となり、大人の階段を登るがごとく情報を探った。とはいえ、当時は今のように情報入手が容易でなく、もっぱらラジオと雑誌の立ち読みから情報を得た。今とさほど変わらないレコードの価格は中高生にとってハードルが高かったためエアチェックに懸命になり、貸レコード店や中古、貸し借りによって音楽ソフトを入手した。その演奏者がどんなルックスなのかを雑誌で確認する。そんな悶々とした日々に登場したメガトン級のラジオ番組が『ベストヒットUSA』だった。動いている外人アーティストなどほとんど見たことのない僕らにとって、まさに夢のような番組で、小林克也を神のように思った。
一方でハードも革新の時代だ。14歳のときに鮮烈にデビューしたウォークマンは、それまでの音楽の楽しみを激変させた。進化するラジカセや憧れのコンポなど、次々と新技術が投入されていき、CDの時代を迎えるまで革新の日々だった。あれから四半世紀以上、いまだ音楽パッケージがCD頼りになっているのだから、いかに時代の激震地に居合わせたかということになる。
ソフト、ハードともに最も激しい変革期と、音楽を必要とする心の変革期がちょうど合致しているのが、我々昭和40年男といっていいだろう。ねっ、僕らってゴールデンエイジだよ。どれほど夢中になったかの個人差はあるものの、誰もが夢中になったミュージシャンの1人や2人はいるだろう。そして楽しみ方として共通しているのが個人のものでなく、共有するものだったことだ。ステレオのある家にみんなでレコードを持ち寄って聴いたり、好きな楽曲の入ったカセットを貸し借りしたり。ウォークマンというパーソナル機器が出たとはいえ、まだまだマスで楽しむものだった。新しい音楽に飛びつくことをカッコいい行為として、情報のアンテナを張ったりした。これも音楽がコミュニケーションの大きな柱だったからである。
そんな時代に僕を虜にしたアルバムを一度整理してみたいと思っていた。そして格好の舞台がここだと気が付いたわけだ。長い前振りになったが、50枚くらいに絞り込んで紹介していこうと思う。
ここで自ら課していくルールは、1アーティストにつき1枚をセレクトしていく。それに付随してそのアーティストの名盤も付け加えたりするだろうが、原則1枚をジャンジャカジャーンと紹介することに意味を持たせたい。グループとソロの問題が出てくるだろう。たとえばビートルズであれば、その後のポールやジョンの活動も入ってくる。ここではソロ活動も含めて僕にとっての1枚をセレクトしていこうと思う。もちろん、逆もありえるだろう。ソロでのアルバムをセレクトしたら、グループ時代は外すということだ。
そんなわけで1枚目はローリング・ストーンズからいきまっせ。お楽しみに。