昭和40年に生まれた、いわばタメ年の商品やサービスを思い出と共に紹介する連載記事。
今回は、勉強で疲れた時や、花粉によるかゆみにも心強い味方となる目薬「マイティア」だ。
勉強や仕事、花粉シーズンの味方。
学生の頃、受験やテスト前、夜遅くまで勉強をしていると、目がショボショボしてまぶたが閉じそうになり、「もう無理!」と叫びたくなることがあった。そんな時にポトリと目薬を落とすことで救われたという読者も多いのではないだろうか。最近では、花粉シーズンにお世話になっている人も多いことだろう。筆者はパソコン作業の時、画面を見つめてまばたきが少なくなるためか、すぐに乾き目の感覚になってしまう。そこで、仕事中はキーボードの横にいつも目薬を置いている。
そんな勉強や仕事の相棒となってきた目薬ブランドのひとつが、昭和40年4月に発売された「マイティア」(千寿製薬) だ。
薬局やドラッグストアなどで処方箋がなくても買えるOTC医薬品といわれる目薬には、目の疲れや眼病予防としての一般用点眼薬、結膜炎のための抗菌用点眼薬などがある。そのなかで、人間の涙に近い成分を持っているのが、「人工涙液」と呼ばれるものだ。
この涙液型目薬の国内第1号として発売されたのが「マイティア」だった。しかし発売当初は、自然に分泌される涙と同じような成分を、わざわざ目薬として補充する必要があるのか、という懐疑的な見方もあったようだ。
しかし、涙液型目薬開発には、ある背景があった。1960年代、充血などを防ぐための目薬が普及するなかで、血管の拡がりを抑える血管収縮剤の副作用が、社会的に問題になり始めていたのだ。そこで千寿製薬では、’61年頃から涙の成分に近い目薬を目指して開発を進めていた。同時期にはアメリカのメーカーが医療用の涙液型目薬を発売しており、その効果や実現の可能性を確信した同社ではさらに開発を急ぎ、商品化にこぎ着けた。発売後は、粘り強い販売もあって次第に効果が認められ、売り上げも伸びていったという。
確かに当時、まだ「ドライアイ」という言葉や、花粉症の存在も一般的ではなかったので、涙液型に対して否定的な意見を持つ人たちもいたのだろう。しかし、目薬に対する先見の明が、今に続くロングセラーにつながったと言えるのかもしれない。
それにしても、“目” に関する状況は、昭和40年男が子供の頃と今とでは大きく違ってきている。我々が小学生の頃、「目が悪くなるからいい加減にしなさい」と怒られるのは、テレビやマンガ本を長々と見ている時ぐらいで、親の方は老眼に悩むのが主だった。
しかし今の子供たちは、テレビやマンガはおろか、ゲームやスマホ、果ては学校でタブレットを使う授業も増えつつあり、学校のなかでさえ目が疲れてしまう環境にある。我々も、パソコンやスマホが欠かせなくなり、目の酷使は年齢に関係なく問題になっている。
目薬を使ってリフレッシュするのはもちろんいいが、やはり適度に休憩をとるなど、心身共にノンビリと休ませ、目を大事にしていきたいものである。
資料提供: 千寿製薬
文: 舘谷 徹
昭和40年 7月、埼玉県生まれのライター・脚本家。広報誌やWeb記事、ドラマやアニメの脚本を執筆。プラネタリウムで活動する市民グループにも参加中
【『昭和40年男』2017年 4月号/vol.42 掲載 】