7月に入り半分が過ぎ、節電ムードはみなさんの生活にどんな変化をもたらしているだろうか? 慣れてきましたか? 僕の生活圏である東京は、夜がすっかり暗くなってしまった。だいぶ慣れてきたものの、正直な気持ちをいえばすごく寂しい。夜が明るいという“無理”は、発展の道を歩んできた日本の象徴だと思うのですよ。
敗戦が濃厚になった日本中で、親に手を引っ張られ防空壕の闇の中で恐怖に震えていた。戦後その子供たちは復興のために懸命になって働き、明るい夜を我々やもっと先の世代のために築いてくれた。今は引退して、悠々自適に明るい日本で暮らしていたはずなのに、この夏、必死になって手に入れた明るい夜はなくなってしまった。戦争の幕引きをしたのが原子力で、そこから完全復興して明るくなった日本の幕引きが、原子力によってなされてしまった。しかも復興の立役者である一度は引退なさった方々が、志願して原子炉に向かうというじゃないか。すべてが間違いだらけなのに、まるで奇妙なストーリーが組み上げられてしまっている。
あんなに明るくなくてもよかったじゃないか。だから原子力はいらないなどと短絡的な話はしたくない。論点はまったく別のところにある。明るさの意味を胸に刻んでいたいと、東京の暗い街で思うのだ。あらゆる方面で復興させる力が求められていて、その中心にいるのは間違いなく我々昭和40年男である。がんばろうは被災地に向けられる言葉ではなく、我々が胸の中で強く燃やす言葉だ。
外国から来た人に言わせると、まだまだ東京は明るすぎるなんて声もあるようです。
たしかにそうでしょうね。ぼくもミラノに行ったときの暗さには驚きましたもの。