このセクションのタイトルは『編集長のつぶやき』である。だから極めて個人的な関係のじいさんばあさんの写真を使っても許されるのである(ホントか?)。右のピースサインのばあさんはワタクシの母で、昭和15年生まれの78歳。その隣で微笑んでいるのが3つ上の兄81歳である。人間の幸せってのは、こういう笑顔の瞬間を迎えられることでなかろうか。
昨日は激務の現場をほっぽり出して、写真の叔父の住む埼玉県岩槻に出かけた。もうひとりいる兄貴と、それぞれの子供たちの家族が大集結しての宴が開催されたのだ。僕は母方の親戚たちとは、平成7年の親父の葬式以来不義理を続けてしまった。が、そこは血のつながりがぶっ飛ばしてくれ、終始笑顔で過ごすことのでき最高の休暇になった。
この集いの目的を開宴に先立って叔父貴があいさつした。もう随分歳を取ったから、元気なうちにこうして会っておこうと企画したとのことだ。病院や、ましてや葬式でなくキチンとバカ騒ぎをしようと宣言された。うむ、僕の血のルーツをこんなところに見た。が、みんながみんな健康で今日まで笑っていたかといえばそんなことはなく、それぞれに大変なことがあった。写真の叔父貴は2年前に心臓の手術を受けているし、上の兄貴の奥さんはもうずいぶんと長いこと要介護状態が続いている。毎日の介護に叔父貴だけでなく娘夫婦も同居して支えているそうで、その苦労はどれほどのことだろうか。それを若干ながら愚痴りつつ、でも今日は最高に楽しいと兄弟で最も細い目をさらに細めていた。そして、日々の反動が今日の楽しさだとも言っていた。
僕はその叔母が大好きだった。おでんが好きだと言うと、遊びに行くたび用意しておいてくれた。好きなタネもしっかりと覚えてくれて、満面の笑顔でちょっぴり自信をみなぎらせて供してくれる。その叔母が僕のことを認識できないのはさすがに涙があふれた。「またおでんを炊いてよ」と無理難題を言ってみたが、記憶は僕に戻ってこなかった。と、100%全開の幸せなんてありえないが、昨日の宴にはおおむねの幸せが満ちあふれたいた。僕は叔父貴やお袋のような幸せな老後を迎えられるかな。な〜んて2人のような長生きはなさそうだがね。
お母さん、良い笑顔ですな(^^)
ありがとうございます。