昨日はお台場のZepp Tokyoでチープ・トリックに涙した。今年は彼らの初来日から40周年のメモリアルイヤーだ。ちなみに、この時の武道館での公演を観客の表情や興奮がまるで見えるかのごとく収録された『チープトリック at 武道館』がアメリカで大ヒットとなり、世界にその名を轟かすこととなった。これより少し以前のクイーンとよく似た現象で、女の子を中心にして日本では大人気を誇っていたのだ。世界に先駆けて日本の洋楽ファンが発掘したと言っていだろう。この辺の不思議は前号の特集『昭和洋楽』でご確認してくれ。手に入れていない方はこちらからどうぞ!!
メモリアルイヤーを記念して4月に武道館でコンサートがプログラムされた。が、ギタリストのリック・ニールセンの体調不良で中止となってしまった。それでもメンバーたちの気持ちが強かったのか、延期のカタチで昨日のライブが実現したのである。武道館よりもキャパが少ないから涙を飲んだファンが多かっただろう。だか『昭和40年男』には、ラッキーが訪れたのである。
雑誌を作っていると、プロモーションという恩恵がある。予算を組んでくれるのはもちろんだが、大物の取材ができることが多くあるのだ。ラッキーとしたは、『昭和洋楽』特集に取り組み始めた時期に、ソニーさんと色んなことを画策していた。そのひとつが特集をCDにして詰め込んだその名も『昭和洋楽』というコンピをリリースしようとのことだった。そしてもうひとつが、中止の武道館に対して延期のカタチでプロジェクトが動いたことだ。そこに便乗するあさましい僕は、プロモーションとしてリック・ニールセンのインタビューを申し込んだのである。これが見事に快諾が得られ、当時を振り返る4ページの記事が組めたのである。さらにラッキーは続く。実現したインタビューのお礼を申し上げる機会まで設けてくれたのだ。長い説明になったがその瞬間の昨日の写真である。前夜はかなり遅くまで不良に引っ張り回され、顔がえらくむくんでいるのは気にしない気にしない。
僕にとってチープ・トリックとの出会いは『ヴォイシズ』だった。大事な情報源だった『ダイヤトーン・ポップス・ベストテン』のチャートを駆け上がってきて、美しくそれまで経験したことのない曲調にノックアウトされた。アルバム『ドリーム・ポリス』を予約するほどハマった。FMの特集で同アルバムを取り上げ、半数以上の曲をテープに収めることができ、その素晴らしさに発売を待ち続けた。が、神は僕とチープ・トリックを結ばなかった。『チープトリック at 武道館』の全米での大ヒットで『ドリーム・ポリス』の発売が遅れに遅れたのだ。その間、テープが擦り切れるほど聴いてしまった僕は、半年待たされた発売の時には買うモチベーションをすっかり失っていた。大半の曲を聴き倒してしまったレコードに、中坊の限られた予算を配分することはできず、また当時は嗜好の変化も激しいことから気持ちが離れてしまった。とはいえ、熱くさせられた気持ちは強く残り、『チープトリック at 武道館』はもちろん『ドリーム・ポリス』などなどを大人買いするに至らせた。
そして今回、初のライブ体験はそりゃーうれしかった。中坊の時に神の仕業で離れたものの、40年の時を経て複雑な事情で自分の作る雑誌に登場いただき、そのお礼を述べることができ、さらに絶品のライブを堪能できた。CDの『昭和洋楽』にはアンコールのような雰囲気を狙って入れた『甘い罠』はもちろん演奏してくれたし、アコギで歌い始めた『ヴォイシズ』では中坊の自分へと旅立ち涙が流れた。それにしても、人生ってのは不思議なものですね(by ひばりさん・愛燦燦)。