【「昭和40年男」Vol.28(2014年12月号)掲載】
昭和40年に生まれた、いわばタメ年の商品やサービスを我々の思い出と共に紹介する連載記事である。今回は、雑煮やしるこに入れるなど、正月には欠かせない餅の保存性を延ばし、カビの心配から解放してくれた『サトウの板餅・サクラコトブキ印』を紹介しよう。
12月に入ると街にはイルミネーションが輝き、クリスマスの雰囲気が盛り上がってくるが、子供の頃、最高に楽しみだった年中行事はお正月だった。もちろん、クリスマスプレゼントも魅力的ではあったが、現ナマのお年玉のほうが少しばかり(?)うれしかったし、何より餅を食べるのが楽しみだった。
元日、届いたばかりの年賀状を見ている頃に雑煮で最初の餅を口にする。雑煮の餅は一般的には東日本が角餅で西日本は丸餅が多いとされるが、筆者の場合、山形出身の母が作る雑煮は醤油のすまし汁に焼いた角餅を入れるものだった。その餅を、1cmでも長く延ばそうとしながら食べるのも楽しかった。
正月の餅からカビの心配を追放した。
最初はまったく飽きずに食べられるのだが、正月も5日ぐらいになると、CMではないがカレーが恋しくなってペースが落ちる。筆者の家では、年末につきたてののし餅を買って1〜2日置いて硬くなったところを子供たちも協力しながら切り分け、正月の間に食べていくのだが、生餅ということもあってか、5日ぐらいになるとちょうどカビが生え始める。
そのため、母がカビをチェックして発見すると包丁でこそげ、焦げるぐらいに焼いて食べたりもした(実は少し削るぐらいでは菌糸が残っていることもあるようなので要注意)。しかし食べきれずに捨てることもあったため、次第にスーパーで包装された板餅も買うようになった。その一つが『サトウの板餅・サクラコトブキ印』だ。
この商品の開発も、まさにカビとの闘いだった。昭和30年代、のし餅の保存性を高めようと各社は工夫をしていたが、とり粉(※)に防腐剤を入れたメーカーがあって問題になった。そのため安全な商品が求められ、当時の新潟県食品研究所がフィルム包装をして湯殺菌するものを開発して保存期間を2週間まで延ばした。ただこれは、お餅らしくない形状で評判は芳しくなかったという。
そこでサトウ食品では、この技術を活かしながらのし餅状にして、さらに1個ずつ分けやすいように縦横に筋を入れて商品化。昭和40年に発売した。半真空状態にできたため、保存期間は6ヶ月となった。
同様の商品は増えていき、筆者の家でも、いつの間にか年末に生ののし餅を買うこともなくなり、母が餅のカビチェックをすることもなくなった。
包装した餅も、板餅から個別の切り餅タイプが一般的になり、正月にカビの心配をしないですむようになっただけではなく、年間を通して食べたいときに食べたい量だけ餅を口にできるようになった。これは、日本のライフスタイルが大家族から核家族へと変化したことも大きかっただろう。今では高齢者も含めて一人暮らしが増えているが、これなら無駄も出さずにすむのでちょうどいい。ただ、カビが生える前に食べきってやろうと勝手に決意し、お腹いっぱいなのに1つ多めに食べ、家族に貢献した気になっていた頃が懐かしくもある。
協力:サトウ食品
【「昭和40年男」Vol.28(2014年2月号)掲載】
文:舘谷 徹/昭和40年7月、埼玉県生まれのライター・脚本家。広報誌やWeb記事、ドラマやアニメの脚本を執筆。プラネタリウムで活動する市民グループにも参加中