【「昭和40年男」Vol.47(2018年2月号)掲載】
昭和40年に生まれた、言わばタメ年の商品やサービスを我々の思い出と共に紹介する連載記事である。今回は、憧れだった鉄道模型Nゲージ。寝台特急やSLなど走らせたい列車がたくさんあった。
自分の好きな列車を走らせてみたかった。
小学生の頃、お年玉がたまると、今年こそは手に入れたい! と思うものがあった。それが鉄道模型だ。特に、1970年代のブルートレインブームの頃は、週末になると東京駅へ行って写真を撮り、平日には鉄道模型を持っている友達の家で触らせてもらい、〝自分の列車〟を走らせることを夢想したものだ。
鉄道模型には複数の規格が存在するが、子供時代に身近だったのはやはりNゲージだ。縮尺150分の1、線路幅9㎜、車両は手のひらに乗るほどのコンパクトな規格だが、作りは精巧で鉄道ファンも納得させた。それにHOゲージ(※)などは車両も大きく迫力もあったが、1両で2万円以上するものがあるなど、なかなか手が出なかった。加えて、当時の住宅事情から遊べるスペースは限られていたので、子供にとってはNゲージこそが鉄道模型だったのである。
そんなNゲージは60年にドイツで初めて発売された後、日本では関水金属(=KATO)が昭和40年に蒸気機関車『C50』と客車の『オハ31』を発売し、国内で初めてシリーズ化した。これによって国内における実質的なNゲージの普及へとつながったのだ。
それ以前は、HOゲージなどの部品を製造して他社に供給していた同社だが、「誰もが手軽に楽しめる鉄道模型はできないか」と考え、自社ブランドでのNゲージの開発を決めたと言う。翌66年に通勤電車『103系』や貨車、固定式線路も発売され、他社も参入するなどNゲージの人気は高まっていった。こうして昭和40年男も鉄道模型に親しめるようになっていったのだ。
今や、日本ではNゲージが鉄道模型の主流となり、多くのファンを持つようになった。最新の新幹線はもちろんのこと、蒸気機関車や旧型の客車まで、さまざまな模型が毎月何種類も発売されている。凝り始めると、好きな風景のジオラマで走らせたくなる世界だけに、大人の趣味としても最高だ。まずは、子供の頃に憧れた列車を走らせるところから始めてみたい。
写真提供:KATO
【「昭和40年男」Vol.47(2018年2月号)掲載】
文:舘谷 徹/昭和40年7月、埼玉県生まれのライター・脚本家。広報誌やWeb記事、ドラマやアニメの脚本を執筆。プラネタリウムで活動する市民グループにも参加中
昭和41年男Oさま
鉄道模型にとてもお詳しいんですね!コメントありがとうございます。「エース」のお写真は大人気で、現時点で「大賞レース」のトップを独走中です(^^ゞ
琴線に触れましたので、一言。
鉄道模型の取っ掛かりは16番でしたが、いさみやさんのクハ75を作ったあと、3歳下の従兄弟に感化されてあっけなくNに転向。現在は両方やってます。
昭和50年代前半は関水さん、TOMIX、学研のまだまだ製品の種類も少ない時代でしたが、
153系、181系、20系客車とEF65の500番台などを買い集め、TOMIXの茶色いレールの上で走らせていました。
KATOさんですと、昨年出た東急のデハ7000がノーベル賞ものではないかと思ってます。幼少から乗っていた思い出の車両ということもありますが、パイオニアの台車が秀逸です。日本が世界に誇れるメーカーですね。