昭和40年に生まれた、いわば “タメ年” の商品やサービスを思い出と共に紹介する連載記事。
今回は、小粒のチョコレート菓子で、透明の容器から見える粒の数だけたっぷり食べた気にもなれた「チョコベビー」だ。
この数年、“脱ゆとり教育” と言われているが、昭和40年男が小学生の頃は、脱ゆとりどころか土曜日にも授業があり、なおかつ宿題もどっさり出され、塾へ通う児童も増えつつあった。だからこそ、ゆとり教育はうらやましくもあったのだが、そんなハードスケジュールのおかげかどうか、限られた時間のなかで、飽きるのを我慢しつつ宿題をこなしていく知恵だけはついた。
そんな時、大切なエネルギー源となり、気晴らしにもなったのが菓子類であるが、なかでも小さな粒のものは、少しずつ食べられるので “ながら食べ” にもちょうどよく、最良のパートナーであった。そんな粒菓子で、ひと粒が1cmにも満たないものが透明の容器に数え切れないほど入っていて、食べる前からワクワクする楽しみをくれたのが、昭和40年 11月5日に明治製菓 (現・明治) から発売された「チョコベビー」だ。
同社からは、1961年にカラフルで少し硬めの砂糖の衣に包まれた「マーブル」が発売されていたが、その食感が苦手という大人たちの声もあったという。そこで同社は、少し上の年齢、中学生ぐらいをメインターゲットに絞り、さらに大人も満足させられるような商品を目指す。そして誕生したのが、小さな俵型ミルクチョコの「チョコベビー」だった。
一度に5粒じゃ足りず10粒20粒と…。
粒自体は、現在の商品を計っても長さ7mm・直径5mm程度でとても小さいが、ひと粒でも口溶けよくチョコレートの味がしっかりする。開発時は、このひと粒の大きさを決めるため、見た目のかわいさ、つまみ具合、食べやすさを、何人もの子供たちを対象に調査し、決定したのだとか。当時は同種の商品がなく売れるかどうかわからなかったため、設備費の確保に苦労したそう。そこですでに販売していたタバコ型チョコの製造設備を利用したことで、丸みのある俵型になったという。
この粒、開発時は一度に5粒程度を口に入れる想定だったというが、筆者は小学校高学年ともなると5粒では物足りず、ついつい10粒や思い切って20粒も出して、ひと口に食べていた。小粒であったため、ちょうどいい具合に口全体にチョコがいきわたって満足感がより一層高まったものだ (同じような子供も多かったのか、’88年にはジャンボサイズも発売されている) 。そのおかげかどうか、勉強のストレスも軽減され (?) 、宿題がスムーズに終わったことも度々だった。
そんな記憶のせいか、大人になった今も仕事の締め切りが迫ってくると、ついつい食べたくなる。コーヒー片手にひと晩で1箱全部を食べてしまうことも。
多彩な小粒チョコたちが、僕たちの子供時代を豊かにしてくれた
協力: 明治
文: 舘谷 徹
昭和40年7月、埼玉県生まれのライター・脚本家。広報誌やWeb記事、ドラマやアニメの脚本を執筆。プラネタリウムで活動する市民グループにも参加中
【『昭和40年男』2016年 10月号/vol.39 掲載】