靖国神社参拝。

今年も靖国神社に行って手を合わせてきた。と、この書き出しにアレルギーを示す方もいるだろうが、僕の意識としてはごく自然な行動だと考えている。僕が命を授かって生まれてくるたった20年前まで、戦争は続いていた。国のために戦い散った魂に手を合わせ、平和の喜びを報告する。そして未来永劫の平和に向けて、ごくごく小さいながら自分の努力を誓う。年に1度そうして過ごすことに大きな意義を感じているからこその行動である。

 

記者として定点観測を繰り返していることも、8月15日に靖国に行くことの意義のひとつだ。今日ここに参拝に来る方々や、主張を訴える方々を俯瞰で眺めることで見えてくることが多くある。だから毎年同じくらいの時間に出かけるのを繰り返している。

 

と、記者の自分と前述した日本人としての自分を重ねて出かける。正午の黙祷までに参拝を済ませるように出かけているのだが、今年のこの時間帯は例年より混んでいて、列の最後尾に並んでから手をあわせるまで40分もかかった。並んで待つことが大嫌いな僕だが、この日だけはいろんなことを考えながら待つことで、気づきや未来への思考を連れて来てくれる。そうして並んでいる最中に黙祷の1分がやってきた。それまでざわめきが嘘のように、蝉の声だけが響き渡る瞬間だ。あれだけ大勢の方が音を発せず、1分間に渡って心を合わせるのは清々しさを感じさせられる。これもまた、毎年足を運ぶ理由のひとつだろう。

 

世界が平和と逆へと向かっているように感じられる昨今だ。我々日本人こそが、それを食い止める存在でありたい。ごくごく小さな努力としたが、願うことと声に発していくことだと信じ僕は続けていく。

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