【誕生!昭和40年】FA-200 エアロスバル

誕生! 昭和40年 born in 1965昭和40年に生まれた、いわばタメ年の商品やサービスを我々の思い出と共に紹介する連載記事である。今回は、その高い運動性能からアクロバット飛行にも使われた軽飛行機『FA-200エアロスバル』だ。スマートなデザインがかっこよく、大空への夢を広げてくれた。

大空を自由に飛び回りたいという願望は、男子共通のものではないだろうか。さらに、飛行機が登場する映画やドラマ、アニメに夢中になった読者も多いだろう。昭和40年男である筆者は、シリーズ作品でもないのになぜか似た邦題が付けられた『素晴らしきヒコーキ野郎』(65年イギリス)や、『華麗なるヒコーキ野郎』(75年アメリカ)などが印象に残る。それに、宮崎 駿監督作品に登場する飛行機や、空を飛ぶシーンが好きだった。身近にはフライトシミュレーションゲームもなかったし、スクリーンやテレビを見ながら、自分が操縦しているかのような気分になっていた。

2種類の違うエンジンはあったが、基本的なデザインは同じで生産終了まで変わらなかった。上の写真の脚には、オプションのカバーが付いている。現役の機体も多いので、一度操縦桿を握ってみたいものだ

子供が憧れる職業のひとつとして、パイロットはいつの時代もトップ10に入る人気の職業であり、筆者自身そう思った頃もあった。ただ、自分の身の丈からいえば、さすがに職業パイロットになってジェット機を操縦することは遠い夢だったので、自ら操縦できる可能性が多少はありそうな、小型のプロペラ機で大空を飛んでいることを想像していたものだ。

そんな小型機にも、主翼が機体上部に付いているセスナ172型などさまざまなタイプがある。「エアロスバル」という愛称が印象的だった富士重工業『FA-200』は、自動車も製造する国内メーカーということもあって、とても身近に感じた軽飛行機の名機だ。ちなみに、日本ロケが話題になった、67年公開の映画『007は二度死ぬ』にも登場する。

この『FA-200』は、昭和40年3月に完成して、8月に初飛行に成功。テスト飛行を繰り返しながら、翌年、航空機の安全性などを国が確認する型式証明を取得し、販売が開始された。当初、スタンダードタイプの価格は598万円で、「エアロスバル」という愛称は一般公募によって決められたのだという。

宙返りや旋回も得意な軽飛行機

機体は、全幅が10mを切る比較的コンパクトなサイズで、エンジンは160馬力と180馬力があった。また、量産の際に必要となる型式証明の取得に当たっては、通常用途を意味する“(耐空類別)普通N類”に加え、アクロバット飛行用で6G(N類は3.8G)に耐える機体強度が求められる“曲技A類”の証明も取得した。

開発当初から、初心者も操縦しやすく、なおかつ高い運動性能を目指したという本機は、宙返りや旋回も得意で、結果的にアクロバット飛行も可能な軽飛行機となった。運動性能へのこだわりなどは、富士重工業が『九七式戦闘機』や『一式戦闘機・隼』などを製造した中島飛行機の流れをくんでいたことも、影響していたのかもしれない。

この高い飛行性能を実現するには軽量化が重要だったといい、スマートなスタイルも、それを徹底した結果生み出されたものだった。それでいて人が乗るキャビンは比較的広く、手荷物が20kgまで積めたり、飛行中でも開閉できる大型スライドの風防が装備されているなど、当時の同クラス機にはない特徴も持っていた。

『富士重工業50年史』によると、本機は85年までに298機が製造されたとある。そしてその半数以上が海外へと輸出され、世界各地の空で活躍した。

大空を飛び回る夢は、筆者としては今のところ叶っていない。軽飛行機を趣味として操縦するには自家用操縦士というライセンスの他、無線の資格や、視力をはじめとした身体検査にも合格しなければならないし、教習費用もそれなりで、かなりハードルが高い。しかし、50代ならまだ挑戦は可能かもしれない、と秋の空を見上げつつ、夢を見る今日この頃だ。

1970年のパンフレットより。飛行機をクルマと同じように使う「豊かな生活空間」を提案する内容だった。一緒に写っている車は69年発売のR-2(手前)と、70年発売の1300G。子供の頃、21世紀には自家用機で「通勤」したいと思っていた

協力:富士重工業

【「昭和40年男」Vol.33(2015年10月号)掲載】

文:舘谷 徹/昭和40年7月、埼玉県生まれのライター・脚本家。広報誌やWeb記事、ドラマやアニメの脚本を執筆。プラネタリウムで活動する市民グループにも参加中

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

6件のコメント

  1. 編集部 様

    本当にお待ちしております。
    熊本はエアロスバルの愛好家が集まって編隊飛行とかやってますよ。

  2. Hangar Ratさま
    え~今もエアロスバルで空を飛べるんですね!すごいですね~!機会があれば本当に行ってみたいです♪(昭和37年女)

  3. 編集部 ☆さま
     やはり初代と2代目のジムニーは特別ですね。
     ストロンガーでは立花のおやっさんも乗ってましたし。
     叔父がジムニーの原型となったホープスターONを持ってますので、
     幼少の頃に第三京浜や尻手黒川線をドライブに連れてってもらった
     ことがあるのですが、怖かったのだけ覚えてます。
     (サイドがパイプだけでいつ落っこちるかと。。。)

    Hangar Ratさま
     実物をお持ちとは凄いですね!!
     これを機会に「エアロスバル」のことを勉強します。 

  4. S42生まれのアマチュアパイロットです。熊本でエアロスバル保存会を作っております。来ていただければエアロスバルでのフライトご招待します。

  5. 昭和41年男 Oさん、貴重なものをお持ちですね! 初代ジムニーは今見ても本当にカッコいいです。実車に復刻してほしいほどです!(昭和37年女)

  6. ニチモさんから1/20のキットが出てましたよね。今だに作らず持ってます。R2も懐かしいです。ヤングSSとかあの頃の車は何といってもワクワクでした。 ニチモさん、復刻いただけないかなあ。。。初代ジムニーとかパンチバギー、ワーゲンバギー。バモスも。。。

コメントは受け付けていません。