先日の岩手出張は仕事と打ち上げでとんぼ返りという残念すぎる行程だったが、どっこい道すがらこんなに素敵なモノを見つけた。世の中がどんなに変わろうと、純粋な心ってのは変わらずあるものだなとほっこりした僕だ。
“熊谷先生を担任に” と願っているのは当然ながら5年生で、この字を見る限り男の子だと想像してしまうのは自分の幼少期のせいだろう。女の子はみんなそれなりに字が上手だった。当時の社会はまだまだ男女の区別が強かったから、「女の子らしく」と文字はキレイに書くようにとの親心が広く働いていたのだろう。女の子のノートはみんなキレイな字で埋められていて、野郎の文字はこの短冊のようなのが多かった。僕の5年生といい勝負だろう。いや、今もか。そしてこの男の子が熊谷先生にいだいている気持ちはなんだ。恋か、それとも教師としての尊敬の気持ちか。なんとなく前者が微笑ましいのは言うまでもなく、若くてべっぴんさんのがんばる先生なんだろうな。な〜んて、想像の旅に出る。
一方で、自分のガキの頃への旅にも出た。ぴっかぴっかの1年生の担任が強烈な方で、太めで男勝りの女教師には絶対に恋心はいだかなかった。タバコをバカバカ吸う姿は、今考えたらカッコイイが当時はそれも含めておっかないったらない。2年生になるときに違う担任になってほしいと、この短冊と真逆のことを願っていたか弱いガキだったのさ。
その後、個性的な担任たちと出会っていく。僕をグーンと伸ばしてくれた先生が2人いて、今も感謝の気持ちは大きい。当時の先生って怖かったし強かった。今現在、教師をやっている同世代は多くいるだろう。校長を務めているなんて1コ下の方から聞いたところによると、僕らが知っている教育の現場とは大きく様変わりしているとのことだった。なんとなく聞き及んでいるだろう同世代の本音としては、厳しい教育現場を求める声の方が多数ではなかろうか。モンスターが増殖しているらしいが、それでも大メディアはモンスターを擁護するような方向の主張を声高に繰り返すのが悲しい。冒頭に記したように、子供たちの純粋な心は一緒だ。それをよりいい方向へと導くには強さが必要であり、そこには変わっちゃいけない信念が必要だ。とどのつまり、社会全体に愛が足りてない。次号 (vol.51) はそれに気づいていただく特集を組む (そこかーっ・笑) 。