つい先日の出張時のことだ、「おっ、安いじゃん」とネットでささっと予約を入れた。出張先でのホテルなんざ、PCを打つスペースがあってシャワーとベッドがありゃ十分の贅沢で、狭くたって全然構わないからいつも詳細を見ずにプチっと予約する。これが今回ばかりは大失敗だった。
夜11時を過ぎてやっとチェックインできた。部屋に入ると懐かしの「じぇじぇじぇ」と、思わず声に出る。写真ではイマイチその恐怖がわからないかもしれないが、このトイレ個室じゃないのだ。部屋にそのままトイレがある(監獄か)。バイクの仕事をするようになって四半世紀以上になり、ビジネスホテルに何百泊、もしかしたら1,000を超えているかもしれない。そんな中には匂いがするほどのぼろっちい部屋や、風呂・トイレ共同なんてのもちょくちょくある。そんなのはへっちゃらな僕なのに、これは極めて強い拒否感があった。
ホテル自体はむしろ清潔感がありきれいな部類だ。トイレを個室にしない分狭いスペースでまかなえて、バスルームもシャワーだけだったから随分と効率のよい部屋づくりと言えるかもしれない。だがよりによってトイレの壁まで効率よくしなくていいんじゃなかろうか。部屋に誰かがいるわけじゃないが、なんだか恥ずかしい気持ちになるのは僕だけだろうか。小は昭和の立ちションベン時代の経験があるからまだいいが、大は無理。この日は朝から何も食えてなかったこともあり、そっちの利用に至らなくて済んだが、もしかしたら心理的に拒否したのかもしれない。
効率を求めることは本来よいことだ。でもね、求めすぎて大切なことを失っている場面をさまざまなシーンで見かける。大げさかもしれないけれど、このトイレも僕にはそう思えてしまう。人は用を足すことに対して少なからず恥じらいがある。それを隠してくれることこそが、狭く仕切られた個室のトイレであり人間らしさじゃないか。部屋が個室なんだからいいじゃん。それで安いんだからいいじゃん。と、ホテルの言い分はそうなんだろうが、少なくとも50歳過ぎたおっさんには無理だ。これからは予約の時に確認しよう。ってね、トイレは個室ですなんて書いてある予約サイトはないけどね(苦笑)。