昭和40年に生まれた、いわば “タメ年” の商品やサービスを思い出と共に紹介する連載記事。
今回は駄菓子屋で僕らの喉を潤してくれた、独特のびん形状も格好よかった「チェリオ」だ。
駄菓子屋の定番でお得感もあった
小学生の夏休み。特に遊ぶ約束をしていなくても、駄菓子屋に行けばたいがいは誰かがいたものだ。夏休みの駄菓子屋は、学校の代わりに友達と顔を合わせる貴重な場でもあった。
そんな駄菓子屋の定番だったのが、フルーツ味の炭酸飲料「チェリオ」だ。販売は昭和30年代後半から始まっていたが、商標登録出願されたのが昭和40年で、その頃から順次全国で発売されるようになった。
商品名の由来は、乾杯の意味を持つ英語「CHEER」から来ているそうだが、日本独自のブランド名である。そんな「チェリオ」が発売された背景には、1958年登場の「ファンタ」の存在があったという。「ファンタ」のヒットで、フルーツ味の炭酸飲料の市場規模が注目されたことから、各社も追随。当時、「セブンアップ」を販売していたセブンアップ飲料 (関西) 社 (現・チェリオコーポレーション) が、「チェリオ」を発売する。オレンジとグレープに始まり、その後、アップル、メロン味などが地域別に追加されていった。
当初、他のメーカーは200ml程度のびんが多かったが、それより多い296mlだったのがうれしかった。また、飲み終わった後、店に返せばびん代が戻ってくるリターナブルボトルで飲めたので、ちょっとお得感もあった。さらに、王冠の裏には四つ葉のマークがあって、その葉の枚数によって、もう1本もらえたりもした。小遣いの少ない身としては、それはありがたい飲み物だったのだ。
ただ、’80年代に入ると、びんタイプは店頭での回収を前提としないワンウェイボトルが中心となっていく。無論、後にペットボトル化され、現在もリターナブルボトルで飲めるのは、関西と中部の一部に限られているのだとか。
ところで、「チェリオ」といえば紅白幕模様の自動販売機を思い出す人も多いのではないだろうか。’80年代末頃から採用されたというこのカラーリングは、その頃同社より発売された「BYG・スーパー・コーラ」という商品のパッケージに合わせたものだった。現在でも、関西や中部地方の自動販売機にはこの模様が継承されている。
「チェリオ」が数ある炭酸飲料のなかで印象に残っているのはなぜか。きっと家で飲むものではなく、駄菓子屋などの “非日常空間” で買って飲むものだったからではないかと思う。だからこそ、しっかりと記憶にも舌にも残っているのではないだろうか。
協力: チェリオコーポレーション
文: 舘谷 徹
昭和40年7月、埼玉県生まれのライター・脚本家。広報誌やWeb記事、ドラマやアニメの脚本を執筆。プラネタリウムで活動する市民グループにも参加中
【『昭和40年男』2017年 8月号/vol.44 掲載】
私も昭和40年男です。東京は神田の小学校出身であのころほぼ毎日出る光化学スモッグ注意報の中、アホみたくマスクもせず元気に外で走り回ってました。アキバの電気街や万世橋にあった交通公園や神田明神などが遊び場でした。その後護国寺の中学に進み隣の音羽市場でチェリオを初めて知りました。30円でしたねー。懐かしい。部活練習の後小遣いで買うのに7upはたしか少し高いんですよね。それで結局いつもチェリオ飲んでました。いつの間にかビン返却式じゃなくなってしまって残念です。これからも懐かしい話思い出させてください。私の思い出というとサンシャイン60ですね。実は私達が中学入学した歳にオープンしたんです。地下にキングコングの等身大の上半身があるゴリラというゲームセンターがあったり、そのゲーセンの真ん前がおもちゃやだったりと今と比べて遊ぶところが多く楽しい場所でした。帰りにはまだ有名でもなんでもなかった大勝軒でつけ麺食べたり、まだ一軒でほそぼそやってた大戸屋で大戸屋ランチ食べたりして最後に西武か東武でウィンドウショッピングして帰宅と、都心でも意外と楽しい思い出がいっぱいです。また色々思い出させてください。長文失礼しました。