まだ数日待たなければならない発売日に向けて、少しずつ今号のご紹介をさせていただく。まずは今回の特集に取り組むにあたり生み出した、ありそうでなかった造語『昭和洋楽』についてだ。最新号紹介でもふれている洋楽と洋食はよく似ている。
テレビのスイッチを入れれば歌謡曲はやさしく語りかけてくれるのだが、洋楽は少々ハードルが高かった。そもそも言葉の意味がわからないのだから、歌謡曲とは比べようがないほど不親切なのだが、俺たちは果敢に立ち向かっていった。なぜだ? 洋楽の話題をさらりとできることはカッコよくて、女の子にもてそうだったから。今とは比べ物にならないほどの舶来信仰もあった。女の子への興味がどんどん強くなる10代の俺たちは、その強さのままにしがみついたのだ。
昭和50年にひとつの事件が起きた。それ以前の洋楽は、知ることがおしゃれに感じられる世界というよりは、メッセージ性が強くて屈強な男たちのためのものだった。目をギラギラさせて強いイデオロギーを形成させていく手助けにもなってくれた。一変させたのがベイ・シティ・ローラーズの『サタデー・ナイト』であり、昭和50年のことだった。お茶の間にまで流れだして女の子たちが飛びついた。女の子が動けばナンパな男達が動く。以降もすばらしいメッセージ性を持ったミュージシャンたちは活躍した。だが混じって、わかりやすくてポップなサウンドが増殖したのだ。
これを受けて、国内のシーンが独自の文化を作っていった。主に英米それぞれのチャートからピックアップされてパワープレイさせる曲を取捨選択しながら日本チャートが出来上がる。それにとどまらず、日本が本国より先行して支持するなんて事例も出る。クイーン、ジャパン、チープ・トリックなんかがそれだ。その支持を受けるかのように、クイーンが昭和51年に発表したアルバム『華麗なるレース』のB面ラスト『手をとりあって』では日本語でサビを歌った。チープ・トリックは初来日での武道館公演の熱狂を封じ込めて『at武道館』を逆輸入のごとく本国でヒットさせた。
と、これらの日本での化学変化が作り出したシーンは、まさにカレーじゃないかと編集部では合言葉にしたのだ。『昭和40年男』が今号で発信する『昭和洋楽』とは、こんな背景から命名したのである。