平泉の世界遺産登録。

一昨日のこと、平泉の世界遺産登録が決まった。震災後の東北には極めて明るいニュースで、観光需要が増えることで復興に役立つことを期待する。僕はこれまで何度か訪れたことがあり、何度行っても素晴らしいところだ。静けさを感じられる地であり、芭蕉の心へとつながっていける気がするのだ。「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだのは、我々とタメ年のころだ。人生が50年といわれた当時の、人生の晩年で見た平泉をどんな気持ちで眺めたかと、しばしシンクロを試みながら、またたどったであろう道々を感じ入りながら旅するのである。

世界遺産の地を旅していると、それ自体のいい話ばかりを聞けるわけではない。白川郷で合掌造りの家に住む方から聞いたのは、静かな村でなくなってしまったということ。観光バスで団体がたくさん来ることも含めて景観だとしたら、その価値がはたしてあるのだろうかと。前回訊ねた、申請の最中であった平泉でも、近所の居酒屋で地元の方から話を聞いた。反対派も多くいて、もともと仲の良かった人たちが2つに割れてしまったことを強く残念がっていた。反対理由はいくつかあったが、その中には静かな平泉を残したいとのことで、白川郷と同じ話である。

僕が旅したころでさえ、時おり訪れる団体客と何度も遭遇した。少々酒が入っている団体は声が大きく、静けさとはほど遠い地へと一変させてしまう。もちろん、彼らは彼らで観光を楽しんでいるのであり、腹を立てたわけでない。こっちは気楽な1人旅だから、過ぎ去るのをやり過ごして再開させればよかった。ただ、世界遺産登録となったことで、静けさを楽しむ間のない平泉になってしまうのではないかと心配である。

芭蕉はこの地で「五月雨の降り残してや光堂」とも詠んだ。世界遺産認定は、こう詠まれた魅力が含まれていると思う。登録を喜ぶ一方で、水を差すような話だが、せめて我々のようなおっさんは、静かな地を心で楽しむようにかの地へと訪れたいものである。

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