桂きん太郎さんとの出会い。

2泊3日の東海近畿出張に出かけてきた。取材とバイク関連の仕事を利用法こなす、スーパーハイパービジネスマシーンな僕なのさ。そして取材を終えて、スゲー恥ずかしい台詞を放った。今振り返ってもよくあんな言葉が吐けたなと思う…(赤面)。

昨日のことだ。大阪で桂きん太郎さんというタメ年落語家を訪ねた。まずは仕事現場の撮影から入り、その後インタビューという段取りにした。大阪の難波、湊町船着き場から出発する“落語家と行くなにわ探検クルーズ”という、約1時間半かけて大阪市内を巡る船旅が、彼のこの日の仕事現場で、この様子を撮影しながらレポートすることで取材がスタートした。

大阪は川の街である。昔、上田正樹さんが『悲しい色やね』で歌っていた通りだ。そしてかつての地盤沈下で橋と水面が近く、今回乗船した船はずいぶんと平べったい。また、下から見た橋には無数の船のスリ傷が走っていたほどだ。きん太郎さんはそんなガイド的な説明の中にネタを入れこんで笑いを誘う。ファインダー越しにそのきん太郎さんを追い、またこの後のインタビューに備えてきん太郎さんを感じるようにと心を開いた。言葉がやさしい。それが強く感じたことであった。それと1時間半しゃべりっぱなしの中でのパワーというか集中力はスゴい。比較できるレベルでないものの、僕もしゃべる仕事を持っているからわかる。さぞ疲れることだろう。本人も「肉体労働ですわ」と言っていた。

今回の特集テーマである笑いを、提供する側ということで登場願った。大阪出身で21歳のときに桂きん枝さんに弟子入りし、やがて東京に進出して順調な芸人生活を送っていたが、阪神淡路大震災の影響で当時活躍していたテレビ番組がグチャグチャになり、仕事が激減してしまったそうだ。そこがひとつのターニングポイントになり、東京から大阪に引き返してきた。とはいえ、ひとたび出てしまった街は仕事がジャンジャンあるわけでなく、どうやって食っていたのかと当時を振り返る。僕は、あの吉本に所属しているのだから、仕事なんか天から降ってくると誤解していた。もちろんまれにそれもあるそうだが、本人次第のシビアな世界だそうだ。

人をオトシメての笑いが大嫌いだというと、頷いてくれた。クルーズのときに感じた、発する言葉に乗っかっているやさしさは、彼のそのまんまの心なんだなとインタビューでひも解くことができた。話をしていて『昭和40年男』の目指しているベクトルと同一線上にいると思った。取材が終わり自分の本を渡しながら出てきたのが…。「きん太郎さん、ダチになってください」。キャー、恥ずかしい。でもそんな気分になった本当に素晴らしい出会いだと僕は思った。そのやり取りを聞いていたクルーズの若いスタッフが、僕の台詞に苦笑していたのがまた恥ずかしい。そりゃそうだよな、おっさん2人が白昼堂々酒もなしにこの台詞の後に握手しているのは、今どきの若者だけでなく世界中が気持ち悪いかもしれんが、本人は感激なのさ。素晴らしい出会いにカンパーイ!!ってそれかよ。

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