昭和40年に生まれた、いわばタメ年の商品やサービスを我々の思い出と共に紹介する連載記事である。今回は、初めての海外旅行でも英語が苦手でも大丈夫、添乗員がお供しますなどとPRして、日本人を海外旅行へ誘ったジャルパックの発売だ。
テレビの長寿クイズ番組のひとつ『アップダウンクイズ』(NET系/TBS系)で、10問正解してゴンドラが一番上まで行った時に賞金と共に贈られたのがハワイ旅行だった。70年代にそれを観ていた頃、ハワイへ行きたいばかりに、ブラウン管のこちら側で必死に問題を考え、早押しの練習のごとく机をバンと叩いてひとり勝手に答えたりもしていた。その頃はまだ海外旅行は限られた人たちが行くもので、学校でも海外へ行った友達などいない時代だった。
そもそも誰もが海外へ行ける、海外渡航自由化が実現したのは昭和40年男誕生前年に当たる1964年、東京オリンピック開催の年であった。観光目的で行けるようになったとは言え、旅慣れた人など少なかっただろうし、1ドル360円の時代であり費用面でも高嶺の花だった。
パックなら初海外でも安心だった。
そこで日本航空は、国内企業としては初となる海外パッケージツアー商品『ジャルパック』ブランドを発表し、1965年1月に発売を開始する。
最初に発売されたのは7コースで、発売1ヶ月で予約が2,000人を突破するほど反響が大きかったという。前年に東京オリンピックが開催され、日本中の人たちが外国を身近に感じるようになっていたことも影響していたのだろう。そしてこの年の4月から世界中へツアー客が旅立っていく。
その第1弾ツアーとなったヨーロッパ16日間コースの日程を見ると、かなり多くの土地をまわっている。できるだけたくさん見てやろうという気合いが感じられるほどだ。羽田を22時30分に出発し、翌日にはデンマークのコペンハーゲンに到着して人魚姫の像などを見学し、翌日にはオランダへ1泊。次にロンドンへと向かい、パリ、ドイツ、スイス、ローマを経て、出発から16日目の21時ごろ羽田へ戻ってくる。今考えるとかなりハードな日程だが、当時は〝一生に一度〟の意識もあっただろうから、可能な限り盛り込んだのかもしれない。
初年度の参加者は、全コースで2,192人にもなり、海外旅行熱への胎動が感じられる。その後の日本人海外旅行者数も65年に15万8,827人だったものが、72年には早くも年間100万人を突破し、近年(12年)は約1,800万人にもなっている。パックツアーを扱う会社も年々増加したが、海外旅行者拡大に一役買ったことは間違いないだろう。
昭和40年男たちのなかにも、初の海外旅行は安心で頼れるからとパックツアーにした人も多いのでは。ちょうど我々世代が社会に出た80年代半ばから後半頃は、3日間休みがあったら海外へ行こうという雰囲気さえあった。旅行代理店に行けば山のようにパンフレットが積まれ、さまざまなプランから選べた。
ただ、80年代以降、いわゆる格安航空券が広まったこともあってか、自分ですべてを手配し、気分の赴くままに日程を決め、行き先さえも当日に決めるような旅をする人たちが増えてきた。バックパッカーのようなスタイルもそのひとつといえる。
そうした流れの一方でパックツアーも単に旅のお膳立てをするものだけでなく、ユニークな旅の企画も増え始めている。ジャルパックが50周年特別企画として実施したのもそのひとつ。アメリカの宇宙開発の歴史をたどり、通常のツアーでは立ち入れないNASAの施設を見学できたり、宇宙飛行士とのランチまで組み込まれていたのだ。
パックツアーは余計な手間がかからず、旅に不慣れであったり、忙しい身でも気軽に旅行へ行けるのがよい点だ。一方で今後は、前出の50周年特別企画のように個人では手配が難しい旅を実現するような商品が増えていくのかもしれない。そうしたパックツアーが増えれば、年齢的に多少腰が重くなっていたとしても、海外旅行へ出かけたいと思うきっかけになるだろうし。たとえば本誌読者限定で70〜80年代の伝説的なコンサート会場をめぐり、当時の関係者にも会えるなんて企画はどうだろう?
取材協力:ジャルパック
※【「昭和40年男」Vol.29(2015年1月発売号)掲載】
文:舘谷 徹/昭和40年7月、埼玉県生まれのライター・脚本家。広報誌やWeb記事、ドラマやアニメの脚本を執筆。プラネタリウムで活動する市民グループにも参加中