朝の報道番組を見ていてふと思ったのだが、新聞の朗読になったのはいつからだろう。記事を赤とかで囲ったりして、肝心な部分に目隠しなんかしてキャスターが読みながらはがしていく。「なんと〜」とか言いながら。他のチャンネルを回しても同じようなことをやっている場面が多く、ヤレヤレだねえ。やっている方もさぞつまらないのだろうなから始まって、いろいろと考えてしまったよ。
最新号でも強く取り上げたが、昭和40年男にとってテレビの影響は極めて大きく、みんな大好きだったはずだ。情報の真ん中には絶対的にテレビがドーンと鎮座し、様々な番組から影響を受けた。作る側も燃えていたのだろうと思う。実際、昭和40年男に登場いただいた方々からも、テレビ制作の現場熱についてはしばしば聞かせていただいた。それは感動的なもので、たとえば創刊号での藤岡弘さんのインタビューでは「ショッカー役のスタントマンたちこそがヒーローですよ」と語っていた。タイツ1枚でコンクリートでも砂利道でも飛び込んでいって、傷だらけだったと。そんなになっても撮影が終わるとそのまま道場に向かい、訓練を繰り返していたそうな。そんな捨て身の努力は、テレビに対する子供たちの期待に応えたいという気持ちがあってのことだろう。黎明期の勢いが現場をそうさせたことも手伝っていたのか、凄まじいエネルギーを放っていた。僕たちはそれをまっすぐに受け止めて成長していったのである。多種多様に存在したドラマには秀逸なものが多かったと思うし、ドリフのように、キチンとした仕込みが施されている笑いもいい栄養になっている。とにかくテレビっ子だった。
新聞を読んでいるキャスターを眺めていると、テレビが、かつてそうしたエネルギーが詰まったメディアだったとは思えない。放送時間帯や番組そのものによって、ターゲットがあるのはわかっているつもりだ。では、朝の報道番組と呼ばれるところは、この時代に至っても新聞なんざをとっている人間は、ターゲットから外したいということだろうか? もっとも、今回の原発問題でテレビに報道ができないことが露呈したのだから、こんな部分で僕が憤慨していても仕方ないのかもしれないが…。
テレビ、新聞、広告、そして僕たち雑誌もそうだが、情報や表現を伝える手段が混沌としている中で、熱を失ったら衰退しかない。それでなくてもアベレージが下がり続けていることは否めないのだから、シンプルに創意工夫や血のにじむような努力がなければならない状況が長く続いている。そんな中で最も大きな影響力を持っていたテレビが、同じくメディア界のスターであった新聞を読んで番組構成しているのだ。テレビピープルとして育ち、いまだに朝は朝刊を広げている僕にとって、悲しいことである。
そういう番組の存在が案外、新聞が衰退している一因なのかも。あれ見れば新聞買う必要ないからね。