【いよいよ発売! 昭和40年男 2018年6月号】シャレード・デトマソ・ターボの真実。

ようやく暑さが和らぎましたね。いやはやこの数日は異常な暑さでした。オープンカー(という言葉に気恥ずかしさを感じてしまうのですが、他に妥当な表現がないのでこう書きます)に乗っているのですが、多くの人はよく晴れた日に屋根を開けるものだと思っているようです。確かに洋画などではそのように描かれますが、日本においては実はこれは誤解でして、オープンカーだって暑い時は暑い。眩しいし日焼けするし、渋滞は多いしでいいことなんかありません。屋根を閉じてエアコン最大にするのが快適なのです。屋根を開けて気持ちいいのは、春や秋のうららかな日だったり、初夏の夜だったりがいちばんここちよい開放感を味わえる時期。あと、意外かもしれませんが真冬に暖房最大にして走るのも実は冷たい風が気持ちいいのです。近年日本の四季は春と秋がずいぶんと短くなってしまって、気持ちよく走れる時期が限定されてしまい、寂しい限り。短い旬をできるだけオープンで味わいたいのに、この数日の暑さときたらまったく…

ということで本日も最新号を紹介します。今日紹介するのは連載特集「夢、あふれていた俺たちの時代」よりダイハツ・シャレード・デトマソ発売の記事です。

昭和40年男 2018年6月号 シャレードデトマソ

昭和40年男にとってデ・トマソと言えば、パンテーラに代表されるスーパーカーブランドとして認知されていることでしょう。名前が「パンティー」に似ていたという理由で私の周りでは不人気でしたけど…(笑)。そんな(どんな?)デ・トマソが国産車に登場したということで、大きな話題を集めたのが1984年に登場したシャレード・デトマソ・ターボでした。

なぜ、ダイハツだったのか? それは、ダイハツが当時デ・トマソ傘下だったイノチェンティ社に初代シャレード用の3気筒エンジンを供給していたため。親密な関係にあった両社は、1981年の東京モーターショーに初代シャレードをベースにしたシャレード・デトマソ・ターボを出品。この時はショーカーにとどまったのですが、非常に高い評判を得たと伝わっています。初代モデルにこのような伏線があったのは私も初耳でした。

ダイハツ・シャレード・ターボそして1983年1月にフルモデルチェンジが施されます。ホットハッチが次々登場していた80年代半ばなので、2代目シャレードも同年9月にターボモデルを発売、「Cats’ Turbo」の愛称でそれなりに人気があったのですが、これをベースにデ・トマソブランドを冠したモデルこそ、翌年1月に発売されたシャレード・デトマソ・ターボなのです。当時のリリースにはこうあります。

「イタリアのエキサイティングカーを数多く手がけた自動車メーカーのヌオバ・イノセンティ社(資本金・三〇〇億リラ 所在地・ミラノ市)代表のデ・トマソ氏が直接参画。「シャレードTURBO」をベースに空気抵抗軽減と高速走行安定性を一段と高めるエアロチューニングを施すとともに、機能性重視の内外装備品等を使ってドレスアップした”日・伊共同開発社”である」

なんだかダイハツの力の入れようが伝わってくるような気がします。また、当時のカタログには、アレッハンドロ・デ・トマソ本人によるメッセージも添付されています。少し長いですが、これも以下に引用しましょう。

ダイハツ・シャレード・デトマソ コメント親愛なる日本のみなさまへ

私は、1950年台後半から本格的なクルマづくりに取り組みはじめました。それまでのレーシング・ドライバーとして得た貴重な経験をもとに、独創的なクルマをつくることへ、大きな夢をふくらませたものです。

私が目ざしたクルマとは、ひと言で言うと「グラン・ツーリスモ」でした。めざましい加速性能を備え、早くて、安全で、しかも抜群のロードホールディング性をもったクルマ、そして私のイメージが反映されたスタイリング。それは、今でも変わることなく、私の創造哲学となっています。

はじめてシャレードと対面した時、とてもコンパクトにまとまっているクルマだという印象をうけました。でも、マニアックな要素がもう少し付加されていれば、申し分ないとも思えました。シャレードDETOMASO Turboは、そうした私の思い入れを十分に具体化できたクルマになったと、いささか自信を持ってお届けします。日本の高い自動車工学技術とイタリアの工業デザインがひとつになって生まれたこのクルマは、必ずや日本のユーザー、中でもカー・マニアや若者の皆さまに、ご満足していただけるものと確信しております。

シャレード926ターボクルマに対する愛情を感じるコメントですよねえ。なんだかぐっときてしまいます。コレを当時読んだなら、つい買ってしまいそうです。ちなみに、ダイハツはこの後、84年10月にターボモデルを国際ラリー規格であるグループBに合わせて排気量を993 → 926ccへとダウンサイジングしたラリー専用モデル・シャレード926ターボを200台限定で発売します。そして翌85年のサファリラリーにて初エントリーながら初優勝を飾っています(しかもグループAでも1・2フィニッシュ! ダウンサイジングしなくてよかったじゃん、みたいな笑)。

ダイハツ シャレード・デトマソ 926Rそして、その余勢をかって85年の東京モーターショーに出品したのがシャレード・デトマソ926Rでした。926ターボをベースにエンジンをミッドシップ化した文字通りモンスターマシンで、市販化がささやかれました。しかしながら、グループB規定自体が廃止されてしまったため、このデトマソ926Rは幻に終わってしまったのです。もし発売されていたら、どんな反応だったのか、今となっては想像するしかありませんが、クルマファンなら楽しい妄想ですね。

本記事では、このあたりのいきさつについて、当時をよく知るカージャーナリスト・片岡英明氏が解説してくれています。ということでクルマ好きなら見逃せない記事が掲載されている『昭和40年男』最新号は、全国の書店にて発売中です。みなさんもぜひ手にとってみてください。

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