ということで、前置きが長くなってしまったので別記事にしました。いきなり最新号紹介記事です。今日紹介するのは連載特集「夢、あふれていた俺たちの時代」より甲子園で取手二高が優勝した記事です。
1984年は、桑田真澄・清原和博のKKコンビが2年生だった年で、彼らが在籍した3年間のうち最も完成度の高いチームだと言われています。もちろん、夏の甲子園でも優勝候補の最右翼で、前年に続いての2連覇は確実視されていました。ところが、そこに割って入ったのが茨城県の公立校・取手二高です。エリートが集う私立高校ではない雑草軍団が雨の決勝でPL学園を8対4で破り、見事優勝を勝ち取りました。
当時のPL学園のすごさは、同年センバツ後の練習試合で取手二高が13対0で大敗を喫していることでもよくわかります。強力打線を9回1死までノーヒットに抑えた桑田の投球は圧倒的でした。そんなPLに勝利した要素には、木内幸男監督の采配があげられます。監督生活25年目でようやく甲子園初出場をはたした遅咲きの名伯楽は、試合の流れを巧みに読み、時に驚きの選手起用もいとわない采配は、”木内マジック”として恐れられました。
その木内マジックは、PL学園との決勝戦でも遺憾なく発揮されました。リードする取手二をじわじわと追い上げ、4対4の同点で迎えた9回裏、PLの攻撃。「逆転」が代名詞のPLを前に、エース石田をライトに回し、変速左腕の柏葉をマウンドに送ってのワンポイントリリーフ。PLが送りバントで来るのにらんで当て損ねを狙った起用でした。これが見事的中して二塁でランナーを刺すと、ライトでふてくされていたエース石田も戦闘モードに。石田の気性や性格さえも把握し活かしたこの采配によって、ピンチを切り抜けたのです。
この84年の取手二高がいかにして優勝をつかみとったのか。本記事では、当時同校2番セカンドとして活躍し、現在は木内監督の後を継いで常総学院の監督を務める佐々木力氏にインタビュー、数々の貴重な証言を掲載しています。高校野球好きなら見逃せない記事が掲載されている『昭和40年男』最新号は、全国の書店にて発売中です。みなさんもぜひ手にとってみてください。
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