山菜を取れる男とそうでない男。

少し前のこと、友人宅に招かれてご馳走になった。まだ時期が早くてひとつしか取れなかったと言いながら、タラの芽を天ぷらにして供してくれた。こういうのを本当のおもてなしって言うのだとえらく感動した。客が来るからと、朝わざわざ出かけてくれた姿がまるで絵のように浮かぶ。

4月の上旬だったからちょっと早かったが、晩春を迎えこの時期ならではの山菜がたくさん採れるはずだ。自生しているものをいただくってのは、この上ない贅沢である。前述の友人も僕に譲った分を取り返していることだろう。

東京生まれの東京育ちの僕は、山に入って自然の恵みを収穫するなんてことは出来なかったが、義父が山菜にえらく詳しく自分のポイントをたくさん持っていて、休みが合うと連れて行ってくれた。晩春の山へと何度か出かけたものだ。コゴミ、ゼンマイ、ワラビ、ウド、そしてタラの芽を収穫して帰ってくる。ウドは掘ったその瞬間からどんどん味が落ちるからと、その場でかじる。ウエストバックに味噌の入ったタッパとナイフを入れて皮をむき味噌につけて食ううまさったら、生きててよかったと大げさに感動する。また行きたいが、ポイントは家族の誰にも継承されていない。そりゃあそうだ、前日までピンピンしていた61歳なのだから。

そういう知識がある男ってかっこいい。大工仕事ができて農作業ができる。いざって時に自分の力でなんとかできる力をつけたいと思うのは男の本能だろう。ダメな都会のもやしっ子のままの、52歳である。

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