「今日はもち鰹がありますよ」と言われるままにオーダーした。江戸っ子は口にできないもち鰹とは、舞阪港に揚がった新鮮な鰹のことだ。舞台は浜松の和食屋で、僕お気に入りのふく亭でのこと。本格的な和食が安くとは言わないが手ごろな価格で味わえる店で、一皿の盛りがいいから複数名で行くとコスパがぐーんと上がる。だが、1人で店主の手仕事を眺めながらのカウンターも居心地よくて、年に1〜2度ふらりと暖簾をくぐる。
いい店ってのは客もいい。見すぼらしい1人のおっさんに同世代らしきご夫婦が声をかけてくれた。「もち鰹は変な店で食うと硬いだけなんです」と。さらにこのうまい鰹の説明も続けてくれた。港に水揚げされて数時間のいわゆる死後硬直の状態で供されるのだと。「明日になったら普通の鰹になっちゃう」そうだ。なるほど黒潮と舞阪港が近いという奇跡の土地だから食えるご馳走ということだ。
目には青葉 山ほととぎす 初鰹の季節だ。江戸っ子は女房を質に入れてでも食うとの伝説(!?)もある初鰹だ。黒潮に乗って北上する鰹は脂が少ないのがよい。昨今、何かにつけ脂の乗りが重宝されがちのグルメ界だが、鰹はバサバサくらいで香りを楽しむものだ。加えてもちのような食感が味わえるもち鰹は、江戸っ子には驚愕のうまさだった。羨ましいぞ、遠州っこ。
丁寧な仕事の数々に舌鼓を打ちながら、粋人になれない僕は毎度のごとく長っ尻になる。隣のご夫婦には焼酎までご馳走になり「またいつかここで会いましよう」と別れ、客がだいぶ引いて手の空いた店主と仕事論を交わす。少しでも上を目指す者同士精進を怠らないようにと誓い合い、至福の時に感謝しながら席を立った。