飲み込めない友の死。

つい先日、高2から10年以上に渡ってもつれるように生きた友の14回目の命日を迎え、旅先の居酒屋で献杯した。52年とちょっと生きてきたのだから、皆さんも悲しい死を多く経験していることだろう。両親健在というのも珍しい歳になっている俺たちだ。そんな多くの死の中でまったく飲み込めないのが自殺だ。悲しみは大きいが病気や事故など年月によって仕方ないと諦めに変えられるが、首を吊って逝っちまったのは癒えない大きな傷を負わせる。

ヤツは僕のバンドのギタリストで、歌の僕にとってはステージでも曲づくりの上でも相棒だった。ニヒルなやつでルパンの相棒の次元大介みたいな男で、昭和40年男たちが活躍するバンド漫画『気分はグルービー』のギタリスト稲村ともそっくりで、仲間うちでは作者に見られたに違いない言っていたほどだ。

やがて同じ居酒屋でバイトするようになり、彼女より多くの時間を共にした。高校卒業後もバンドで食っていくのだと同じ夢を描きながら生きた。バンドのメンバーが1人また1人と抜けていく中でヤツだけはずっと夢を捨てず、一緒にもがき続けた。が、20代も後半となったある日、突然バンドを去ってしまった。メンバーチェンジを繰り返しながらも10年以上続けたバンドはこの時解散したのだ。ヤツのような相棒はもう探せないと思ったからだ。

解散から10年以上の時が過ぎた。細々ながら音楽活動を続けていた僕は、また一緒にやりたいという気持ちが日に日に大きくなり、訃報を知る直前にヤツのことを題材にして下記の詞を書き上げた。近いうちもう1度バンドをと誘いに行こうと思っていたところ、元ベーシストから会社に電話が入った。知った当日の夜から翌日は仕事を休んで呑み続けた。そしてその死は未消化のままで僕の中に横たわっている。

自ら命を絶ちたい。そう思うことの1度や2度はある同世代の方が多数派でなかろうか。だが、どんな死より周囲を悲しませることを知っていただきたい。あの日僕は「俺が殺した」と叫び自分を責めた。それは今も心の中にある大きな傷である。

Hey相棒

公園のベンチでずっとずっと缶ビールとラジオで過ごしたなぁ
そんな夜がいつまでも続くと信じていたんだ
 


18(歳)までにけりつけてやるよ俺たちの口癖だった
夢を全部ロックンロールに乗せて毎日吐き出してた
 


世間やしがらみやチョットばかりの金が
ため息増やしていつのまにか戻れなくなっちまった昔のことさ
 


Hey相棒 調子はどうだ? 今でも吠えてるか?
あの日から別々の道俺たち歩いているんだな
Hey相棒 笑っているか? 汗かいているか?
あの日から会えない日々が随分と過ぎたな
 


突然行方くらませてそれきり何年も
時間は加速するように勝手に過ぎてく
 


俺たち出会わない方が幸せだったのかもな
すり減らすようにすべてをかけて使い果たしてしまった

傷つき泣いてたお前の心
気付かずわがままを押しつけてた気付いたときには遅すぎたけど

 

Hey相棒 今はなにして どんな風に生きている?
何もなかったようにこの街戻って またビール飲めたらいいんだけどな
Hey相棒 調子はどうだ? こっちは上々だ
Hey相棒 もう1度俺たちあの日に戻りてえ

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