洋楽にハマった中1のガキの頃、曲の情報源はラジオでありメインは『ダイヤトーン・ホップスベストテン』だった。土曜の半ドンから帰り昼飯を食った後に『コーセー化粧品・歌謡ベストテン』をなんとなく聴き、2時になるとカセットテープをセットしてドキドキしながらラジカセの前に座っていた。ここにTOTOなる不思議なバンド名、というより便器のメーカーとしか思えない笑っちゃう名前のバンドの曲がランクインした。スネアの乾いた音に続いてピアノが刻みヘビーなギターが突っ込んでくるイントロがすげーかっちょいい『ホールド・ザ・ライン』だ。ふむふむと懐かしく振り返っている諸氏も多いだろう。
続けてシングルカットさせた『愛する君に/I’ll Suppiy the Love』は雰囲気がまったく異なるポップチューンで好感を持った。2曲が収録されたファーストアルバムを、当時は買うに至らなかったが大人になるっていいもので手に入れたのだ。アルバム名の『TOTO』に対して『宇宙の騎士』っつう邦題をつけるのが当時っぽくていいですなあ。中身は名曲ばかりのすげーデビュー作で、捨て曲なしの快作で所有して損なしですぞ。
続く『ハイドラ』から『99』がヒットした。印象的なI Love Youにキュンとした中2の日が思い起こされる。ギターを弾くようになっていたこの頃、トトのスティーブ・ルカサーは新進の中ではビックネームギタリストで、ギター雑誌ではエディ・ヴァン・ヘイレンと共に引っ張りだこだった。
3枚目の『ターン・バック』に続いてアメリカでの大成功を収めることになった『TOTO IV ~聖なる剣』は高2の時のビッグヒットだ。みなさんも『ロザーナ』や『アフリカ』を聞き込んだことだろう。と、話題のアルバムをデビューから立て続けに4枚リリースしたのを、俺たちは最も多感な時期にリアルタイムで楽しませてもらった。
70代の終わり頃には、こうした耳に優しい秀逸なバンドが多く出てきた。一方でヘヴィメタルバンドやパンク、ニュー・ウェイブと呼ばれた過激な連中やテクノポップなんかも出てきて、ベースにはディスコブームもあった。ポップミュージックの歴史で最も騒がしい時代を、俺たち世代はリアルタイムで感じられた幸せ者である。さて、トトのようなバンドをくくる言葉がなかった中、見事にハメたのが産業ロックや商業ロックだった。この言葉でくくるのは、60年代からロックの反骨精神を愛した者たちが蔑むにはしっくりきただろうが、リアルタイム世代には抵抗があっただろう。いや、むしろ無視したかもしれない。ジャーニー、フォリナー、スティックス、REOスピードワゴン、エイジアなどなど、僕ら世代は彼らの曲に夢中になり心から楽しんだのだから。
蛇足ながら、ベストテン繋がりで一言。日曜日になりますと朝9時からはLFでやってたロイ・ジェームスさんの不二家歌謡ベストテン(何故かサザンの曲が1位になることが多かった)とそのあと午後一時からはQRで小川哲哉さんがやってた全日本歌謡選抜(これは何故か河合奈保子さんが一位になることが多かった)を聞き、夜中はANNの電リク(シブ〇〇隊が1位連発)を聞くのがフルコースでした。このあたりどこかの号で取り上げていただけますと。。。
不二家は記憶が薄いです。小川哲哉さんはその声や放送地中のやり取りまでが思い起こされますね。
取り上げたいですね。
当時はラジカセでお気に入りの曲を録音する”エアチェック”が流行っていて、宇宙戦艦ヤマトの宮川泰先生が司会をされていた『♪コーセー化粧品~ 歌謡ベストテン~』はよく聞いていましたが、そのあとの洋楽ベストテンはあまり記憶がなく、、、(たしかセーラさんが司会だったような)。
『ダイヤトーン・ホップスベストテン』のダイヤトーンとは三菱電機のことでしょうか?当時親に買ってもらった大きなスピーカーがダイヤトーンでした。『ホールド・ザ・ライン』がTOTOの曲だというのは数年前まで知りませんで、渋谷の道玄坂にあるク○○○楽器さんの前を通ったらたまたまこの曲がかかっていたので、お店に飛び込んで店員さんに聞いた所、TOTOの曲ですといわれ、youtubeで探したところ、曲名がわかりました!この曲は90年代にCG-TVのランチア特集の回で037ラリーのBGMに使われていた曲で、何度かテレ朝に曲名を聞いたのですが、結局回答がもらえずでした。ちなみに『ホールド・ザ・ライン』の後に流れていたのが、ポリスのシンクロニシティⅡでこれも大好きな曲です。
楽しいコメント、ありがとうございます。
♪コーセー、化粧品と高らかに歌テーマも懐かしいですね。♪歌謡ベストテン!!
『ホールド・ザ・ライン』にたどり着くのにそんなにご苦労があったとは。コーセーの後番組も注目しておくべきでしたね(笑)。