今日は被災地に入る。昨日も伝えたとおり、最新号に掲載した『俺たちの責務』は、連載することに決めた。ページをつくることで被災地の現実を多くの方に伝えたい。もうひとつは復興への想いを劣化させたくないという、2つのモチベーションを持って当たっていく。前回同様、編集部の武田と2人で宮城へと向かうのだ。
もうすぐ3ヶ月が経つ。忘れもしない、本誌の隔月発行宣言号の発売日だ。そんな些末なことと並べるのは不謹慎なのかもしれないが、あの日以降、日本中が不謹慎という言葉の中で右往左往しているような気がする。今日被災地に入ることだって、そう取れなくはない。だが僕は、自分のできることを全うすることが最良の復興支援だと、このブログでも宣言(コチラ)したとおり自粛を封印した。最良ではあると思い邁進しているが、そこに加えて正しさとは何かという命題を突きつけられている。不謹慎を問われるのと同様、重くのしかかっている日々である。
『昭和40年男』という雑誌は必要なのか? 生きていくことだけに絞ったらNoである。人間が生きていくことに不必要なものを、大切な資源を使い懸命になって生産しているのである。もちろん人間とは考え、笑い、悲しみ…、様々な感情を胸にして生きていくのだから、存在は悪ではないと胸を張っている。だが震災を境に、世の中における正しさに対しての極論が強くなった。原発は絶対悪と論じる人が一気に増えた。すべてをひとつの鍋に放り込んで、悪成分の方が強いから存在が100%絶対悪だとぶった斬る。その論法で行くと僕の存在も絶対悪になれる。だってね、このご時世に次号の特集では笑いをテーマにしている。ましてやその本づくりのために貴重なエネルギーを使って被災地まで行き、取材という錦の旗を立てて土足で上がり込むのだから。ほーら、絶対悪のでき上がりだ。以前からこうした極端な論調へとゆるやかなシフトを続けていた日本は、3月11日を境に急加速した。
先日、とあるチャリティイベントを開催し、MC担当だった僕はステージからこう行った。「もしも被災地に行くならば、ボランティアスタッフとして登録してほしい。ただし、ハートが強くないとやられる。そのぐらいの惨状を見ることになるから心して行ってほしい」と。たった2日間の取材で、実際に被災なさった方々には申し訳ないのだが、僕自身は胸が壊れたと表現するのが最も合っている。情けないことだとわかっているが、正直な気持ちであるから先の言葉を発したのである。「こうやってイベントで楽しんだ分を気持ちにして、募金箱に入れてほしい」とも言った。こんな言葉の数々も、ある方向からぶった斬れば絶対悪にできる。
僕は今日、様々な想いを込めて被災地で取材活動をおこなう。仕事を全うできる環境にいることに感謝し、全力で動く。物事の判断にふくよかさを取り戻したい。極論社会とは信念を持って戦っていく所存である。