こんなお宝写真を発見した。真ん中で抱かれているのが僕で、抱いているのは写真でしか知らない父方のばあちゃんだ。僕の誕生日が昭和40年の7月31日でばあちゃんの命日が9月1日。がんで亡くなったから、もしかしたらやっとの思いで抱いているのかもしれない。約1ヶ月しかない僕との暮らしだったが、きっと幸せだっただろうなと孫を欲しがる僕にはわかる。
後ろの男女は当然ながら両親だ。親父はなんだか大正時代の男のようだがこの時33歳で、ずいぶん老けてやがる。そして今じゃすっかりばあさんなお袋はなかなかの美人だ。親父のヤツめ、よくぞだましたな。この頃のアルバムを見るとほとんどが白黒だから、きっとこの写真は気合を入れて撮ったものだろう。あと僅かの命の母親を残そうとの親父の、きっと気持ちだろうな。
52年前のプリントがこうして残っているのだから大したものだ。いい具合に焼けているのも味わい深く、発見してすぐにデータにした。そしてこの紙焼きは大切に保管している。今どきの子供たちはバックアップさえしっかりしておけば、未来永劫劣化しないで写真を楽しめるのだから技術ってのはすごい。僕の幼少をとらえたこの写真は、劣化状態で未来永劫残ることになった。それはそれでよしとしよう。
おそらくこの写真は実家で撮られたものだろう。その実家からお袋が出ることになったから、このお宝映像が発見された。実家を失うのは寂しいが、次々と出てくるお宝はうれしいものだ。
いい写真ですね。
色合いがとてもいい。
この色ってたぶん、思い出と同じ色なんだと思いますよ。
いつまでも色あせないって、味気ないじゃないですか。
おっしゃる通り!! いいセピア色が気に入ってます。