土手を散歩していたら野球のボールが落ちていた。僕らがガキの頃と見た目は変わったが、拾ってみると懐かしい感触についついタイムマシーンに乗っちまった。
東京下町の昭和40年男にとって、遊びの王様といえば野球だった。低学年の頃はゴムボールやソフトテニスのボールとプラスチックバットを使って遊んだ。僕らは庭球野球と呼んでいて、人数に応じて三角ベースにしたり工夫しながらゲームを作った。あまりにも少ないとこれも僕ら独特の呼び方だと思うが、ハサミっこらで汗を流した。2ベース間を守備とランナーになって、ランナーが挟まりつつアウトにならないように走るという遊びだ。休み時間の校庭ではプラスチックとはいえバットを使えないから、もっぱらハサミっこらだった。
やがて高学年になると軟球を使い立派な野球遊びになる。グローブとバットが欲しい物ランキングの上位の常連になり、カタログやスポーツショップを見てはため息をついた。ローリングスやミズノに憧れ、それを持っている者も多かったが、僕はSSKだった。あまり誇らしくないブランドながらすげー大事に使った。劣等感はまったくなかったものの、我が家の財政はあまりラクでないことも子供心に知っていたからローリングスは無理なことを知っていたのさ。
チームに所属する者が多く、クラスの半数近くがどこぞに所属していた。僕はチームなんてとんでもないと思いつつ、ローリングスと一緒で憧れだけは持っていた。そんなある日、友人が近所のガキどもを集めて私設球団を作ったという。ユニフォームもなけりゃ月会費もない。まるでアパッチ野球軍じゃねえか。これだっと飛びつき仲間に入れてもらった。
野球漬けの日々が始まり、声をかけてくれた友人とはチームの練習以外でもキャッチボールばかりしていた。甲子園、プロ野球と一丁前に夢だけは大きく掲げて軟球をいつも握っていたから、ボールの感触が40年前のあの日を鮮やかにフラッシュバックさせる。携帯もデジタルゲームもなかった俺たちの遊びの王様であり、そのままスポーツへの入り口である。そして何より友情の源であった野球に、改めて感謝の気持ちを強くした52歳だった。
僕らも休み時間や放課後にゴムボールでやってたな。
バットの代わりに、手をグーにして打っていた。
詳しいゲーム内容は忘れたけど「ロクモジ」と呼んでたよなぁ。
ロクモジですか、語源は何でしょうね。僕も休み時間にやりましたよ。