先日の出張からの帰りのこと、この時期だとたまにあることで新幹線に若干の遅れがあった。京都名古屋間はよく豪雪で遅延となるのだ。だが帰り道だから焦るわけでないし、しかも今やPC1台あれば新幹線のシートだって立派なオフィスになる。腹を立てるなんてことはなく、しばし仕事の手を止めて流れる景色を眺めた。
雪の深い地域の方々には失礼な話だが、東京人にとって雪は珍しくワクワクする。スキー経験がない僕には、雪化粧ってのはたまらない風景である。ガキの頃、ごくごく稀に夢が積もったりすると授業がなくなって雪遊びをさせてもらえたりした。これが担任の判断なのか学校の方針なのか記憶は曖昧だが、ともかく雪で遊んできていいと大サービス発言で授業がなくなる。雪合戦やクラス全員でかまくら作りをしたなんていい想い出がある。
白く覆い尽くされた景色に美しさを感じるのは心のままなんだろう。見たくないもの、汚いもの、つらいこと。白で覆い尽くしたいなんて思うことばかりの人間社会での気持ちだ。そして、白さってのは究極の目標なんだろうと。嫌な自分がいる。腹を立てたり、先を急ぐ中でのついついの判断が冷たかったりする自分もいる。もっともっと優しく豊かになりたいなんて考えさせられたりする白い風景だ。
東京での大雪は交通が麻痺してパニックになることがある。雪を完全になめていて、数年前の大雪の夜は馴染みの店で缶詰になったバカ者である。優しい親父さんに泊まっていいよと言われ、ならばと調子に乗って深酒して深夜に椅子を並べて朝まで寝た。電車が動いていることを確認して店を出ると、誰も歩いていない雪にスネまで埋まるほど積もっていた。二日酔いでフラフラしながらの駅までの道は、気が遠くなるほど遠く自分の行動を恥じた。朝まで仮眠で付き合ってくれた親父さんにかけた迷惑は、自分の軽率な判断だからなんとも情けない。翌日、菓子折りを持って謝りに行ったなんて苦い経験まで引っ張り出して、雪化粧の風景を楽しんだバカな東京人だったのさ。