こいつを見た昭和40年男だったら、百恵さんの歌を口ずさむだろう。♪バカにしないでよ〜♪と歌った(叫んだ!?)のはガキに強い衝撃を与えた。百恵さんのヒット曲を多く手がけた阿木耀子さんのペンによるもので、百恵さんの世界観は阿木さんなしでは語れない。
そしてこの曲で紅白のトリを務めた。親父もお袋もビックリしていたのを記憶している。昭和53年のことだった。今よりも紅白に権威があり、まさしく国民的な番組だった時代である。今時の若者にこの奇跡だった頃をどう説明してもきっと通用しまい。その番組でトリというのは特別中の特別なポジションで、19歳の女の子は堂々と歌った。どれだけの緊張があっただろうか。僕のような凡人だったら逃げ出しだろう。
この年の紅白は白組のトリも往年のスターや演歌系の大御所でもなく、ナウでヤングなジュリーだった。紅白が俺たちに歩み寄ってくれた元年と言っていいかもしれない。そこにはこの年に始まった『ザ・ベストテン』の影響も少なからずあっただろう。演歌もアイドルもロック系もごった煮でランキングされた番組が、格式を重んじる紅白を揺り動かした快挙だと言えたのかもしれない。
流行歌の影響力もこの頃がひとつのピークと言える。当時は様々なジャンルの曲を押し込まれ、両親と観る紅白では演歌だって守備範囲だった。今のように狙い撃ちだけで曲を聴くのではなく、聴かされることで成長してきたのである。これは幸せなことで、だからこそ紅白も力を持っていた。その時代が好きだから、我が家では紅白にチャンネルロックする。今年の大晦日も、たとえ口パクでもしっかりと見届けるだろう。権威がなくなったとはいえ、変わらぬ年越しにしたいからトレースしているのは少々女々しい気もするが、紅白が好きなんじゃと胸を張る昭和のおっさんである。
紅白のトリで歌った記憶は無かったんですが、普段はNHKでは真っ赤なクリマとしか歌わせてもらえなかったのが、紅白の時だけはちゃんと商品名のポルシェと歌わせたことは知ってます。
神田川の24色のクレパスをクレヨンに変えろとか、吉幾三にレーザーディスクは何者だの歌詞を変えろと強要したガチガチのNHKにしては、異例中の異例なことだったんでしょうね。
紅白でやったね!って思ったのは、サザンが初登場の時に、チャコ海を顔を真っ白に塗って当時の演歌界の大御所の真似をしながら歌った時ですね!お客様は神様で〜す。みたいな。今じゃ結構何でもありになりましたが、あの時は中々の衝撃でしたね。
タメ年の吉川さんもしでかしましたよね。懐かしい。