クリスマスツリーに癒されるおっさん。

今年も我が家のエントランスにクリスマスツリーが飾られた。来月26日の撤収まで僕の帰りを迎えてくれる。ボロボロに疲れて帰ってきた時にちょっとだけあったかい気分にしてくれるこいつに毎年感謝だ。そしてお役御免になると松が飾られる。和洋折衷で節操がないようにも思えるがこれも日本人のよさだ。

俺たちのガキの頃のクリスマスはどんなだったか。まだまだカーネルサンダースは知らなかった。電気屋の我が家は暮れの需要期とカレンダー配りで大忙しになり、家族総出で店を切り盛りしていた。出入りのメーカー、シャープさんがイブに持ってきてくれるクリスマスケーキと、商店街の持ち帰りの焼き鳥屋で買ってくれる鶏モモが楽しみだった。神棚と仏壇のある我が家にサンタクロースはこない。弟の誕生日が押し詰まった20日だったから、それほど豊かな家計でない我が家にそんなにプレゼントの特需があるはずがない。それでもケーキと鶏モモで十分に幸せだった。

ケンタッキーの味を知ったのは高校3年生の時だったと記憶している。当時の彼女に教えてもらい、初めて食ったのがクリスマスだった。この頃からだんだんとクリスマスの喧騒が派手になっていったように思う。そしてもう数年経つと、やれティファニーだ、赤プリでフレンチだとかといった騒動が加熱の一途をたどっていくが、我まったく関与せずだった。この頃の僕はトレンディに背を向けるひねくれものだったのだ。クリスマスなんざ日本人には無縁よ。こちとらその後のお正月がありゃいいんだよってね。

やがて子供が生まれてリスマスを祝うようになった。サンタを信じる息子が愛おしくて、あれこれ悩みながらプレゼントを選び枕元に置いた。翌朝の騒ぎがたまらなくうれしかったが、そんな息子ももはやサンタとは無縁となって久しい。思えば僕がクリスマスを騒ぎにしていたのはこの数年間だけだった。もう20年以上前のことである。

ここ近年は、街がデコレーションされていったりこうしてツリーが飾りつけられることのうれしさが大きくなっている。人が人をあたたかな気持ちにしようと工夫を凝らす行為に心の振れ幅が大きくなっていくのはおっさんらしいですな。2017年もあとわずか。風邪ひかないように体調管理に気をつけて走りましょう。

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