世話になっている呑み屋から電話が鳴った。「やばい、ご無沙汰だな」と心がつぶやきながら出ると「元気ですかっ?」と、それを僕に聞くにはあまりにも元気すぎる声だ。「すみません、ご無沙汰になっちまって」と答えながら、いつから行ってないかを考える。前回出してくれたのが、絶品のカレイの走りだったから5月くらいだろう。ここは僕のメイン呑み屋であるにもかかわらず、今年は飲みに行くこと自体が困難になっているほど貧乏暇なしなおっさんだ。「女房が心配して手紙出すって言うんだよ。体でも壊したんじゃねえかって。そんなめんどくさいことしなくても俺が電話してやるよってさ」と親父さん。涙が出そうなほどうれしかった。相手の時間を奪わないようにする気遣いの女将さんと、そんな気遣いがむしろ失礼だとする親父さんのこれまた気持ちがある。「元気ですよ。あたり前田のクラッカーですよ」と電話を切った。
こいつはまずい。なんとしても近々顔を出さなければと時間を作り出し、その電話の2週間ほど経て1人でうかがった。カウンター越しの親父さんが「おーっ」とにこやかに迎え入れてくれた。その笑顔のうれしさをごまかすように僕は「誰がくたばったてえ?」と声をかけると親父さんは「お母さん、心配してた人が来たよ」と、奥で作業していた女将さんを呼んだ。「まあ、元気だったの」と10年ぶりかのような声を出す。不義理はいかんと反省しきりで「元気ですよ。あたり前田のクラッカーですよ」と笑った。
ここはカウンター10席とテーブルがひとつしかなく、せっかくうかがったのに満席だった。そんなこともあるからいつもは予約を入れるのだが、この日は照れがあったのと、心配に対して少しの演出をしたのだ。「また来ます」と言い残し店を出た。残念だったが、この日の主たる目的は元気な姿をお2人に見せることだったからよしとした。
そしてこの3日後、1枚のハガキが届く。“大変お元気なご様子にて 大安心致しました。”に泣けてくる。やはりアナログはいい、やはり紙はいい。そう、やはり紙の雑誌はいいのだ(笑)。ここまでの3人の小さな気持ちの連鎖はこのハガキでピリオドを打った。いやいや、改めてカウンターに腰掛けて親父さんの料理を食わないとな。
編集長
いいお店ですねぇ〜呑みには行くけれど馴染みの店を持ったことがないので、とても羨ましく思います。
50歳過ぎると馴染みの店の存在が大きくなります。3軒を目標に取り組んでみてはいかがでしょう。