昭和60年のこと。僕は大阪で音楽修行がしたくなって突如移り住んだ。当時東京ではロックがどんどんおしゃれになっていき、大阪の一部では時間を止めようとの努力に思えるほどブルースが流れていた。と、それは僕にとって噂でしかなく、実際に見て感じてどっぷりと浸かってみたくなったのだ。
6万円とテレキャスターとわずかな着替えしか持っていない男に、ラッキーがラッキーを呼んで大阪3日目の夜に写真のアパートにもぐりこむことができた。このアパートの2階の4畳半一間風呂なし共同トイレの部屋に、そのまま大阪滞在の数ヶ月を過ごすことになったのだ。これは粋な男の親切が転がっていた。
音楽で知り合ったタメ年男のコージとこの夜大いに語り合った。すっかり意気投合すると宿無しの僕を「しばらく泊まったらいい」とこのアパートに置いてくれた。「物置きにつこうとる部屋やから」と、彼は僕に遠慮しないで過ごすように言ってくれたのだ。そのまま長いこと甘えてしまい厄介になったわけだが、実はこの部屋は彼がこれから引っ越してくる予定の部屋だった。荷物は段ボールに入っているものが多かったから、物置部屋だと言う彼の嘘を見破れなかった。いや、普通の人間ならば見破るのかもしれないが、僕はまったく気付かず居候を続けてしまい東京へと戻った。今でも変わらないバカっぷりがここにある。彼のやさしさは後になって彼がここに住んでいることで知ったのだが、時代は今と異なり携帯なんかない。やがて連絡は取れなくなりそのままだ。この滞在の日々の感謝を、したいにもできなくなってしまってずいぶん経つ。いつか感謝の気持ちを述べながらコージと呑みたいなんて思いを込めて、今日こんなネタを書いている。
それにしても、当時でさえ決して新しくない物件だったが、33年を経てまだこうしてアパートのままで住人がいることが驚愕である。玄関からのぞくとそこには、19歳の自分がまるでいるようだ。タイガースが優勝した年にタイムスリップしながら「あの日の元気な俺に負けちゃならん」と、檄を飛ばした秋晴れの日だった。