昨日ここに綴ったチープ・トリックのCDは収められた曲はもちろんのことながら、再現された帯にも記憶を揺さぶられた。帯に踊るコピー“チープ・トリックが80年代のビートルズであることを確信する”だ。ビートルズはこうしたコピーやらライナーにしばしば使われた。70年台後半から80年台前半はポビュラーミュージックの百花繚乱で、その基礎を築いたビートルズがそうして引用されるのは当然と言えば当然のことである。そしてビートルズは荒廃した中学校の特効薬にも使われた。
金八さんが象徴するように、僕らの時代の中学は荒れていた。僕の通った中学の音楽の授業がひどくて、フリーミーティングのような状態になることもしばしばあった。そいつを立て直すのに音楽教師が使ったのがビートルズだった。これが僕にとっては不運なことになる。若さとは愚かなことを前提に言わせていただくと、洋楽にはまり始めた頃の僕にとってロックは不良めいた雰囲気をまとっているのも魅力の大きな要素と感じていいた。大人にはわからない何かがあると。実際両親は僕が夢中になって聞いている洋楽を「そのうるさいの」と表現した。が、よりによってロックが授業で使われたのである。そして生徒たちもそれにつられた。ビートルズってのは『バラが咲いた』や『戦争を知らない子供たち』じゃねえかと、愚かな僕はビートルズをぶった切った。これは小学生の頃に、周囲が巨人ファンばかりだから阪神ファンになった心理とよく似ている。へそ曲がりが作り上げたアンチスピリットだ。以来、僕はそれまでいつも買いたいレコードリストに入れていた赤盤青盤を外し、しばらくの間アンチを貫いた。バカである。どうしようもないバカである。
と、そんなバカ者がどんなに叫んだところでロックシーンはビートルズを神のように崇めていたから、前述のコピーが生まれる。確かに『ドリーム・ポリス』はこのコピーがしっくりとくるバラエティに富んだアルバムだ。そして、もうひとつ思い出したのが『マイ・シャローナ』で突如ビッグヒットを飛ばし、ビートルズの再来と予言されたザ・ナックだ。奇しくも『ドリーム・ポリス』騒動と同じく1979年のことで、80年台突入前夜にそうしてビートルズを祭り上げる空気があったのかもしれない。あのビートを机に打ち込むクラスメイトを思い出す。キッスの『ラブ・ガン』とともに中坊にビートの大切さを教えてくれた名曲だ、ってなんじゃそりゃ。
新しいムーブメントが雨後の筍のごとくニョキニョキと生えてきた70年台後半から80年台前半の洋楽シーンを、僕らはリアルタイムで体験した。音楽専門誌にはいつも新鮮な言葉が綴られ、次のロックスターを模索しては日本だけのスターさえ作った。逆輸入ロックスターだ。チープ・トリックもそのひとつだったし、クイーンもそうだ。素晴らしい先輩たちの熱ある仕事に僕らは踊らされ、ドキドキとワクワクを楽しんだ。感謝と拍手を送りたい今日である。
こちらこそよろしくお願いいたします。当時のことブログにしてみました。
40年男です。つぶやき楽しく読まさせてもらいました。ビートルズをぶった切るって事自体がロックしててよろしいかと。またそう言った怖いものなしなのが中学生かと。チャート中心に聴いていたからアーティスト単位ではなく、楽曲単位なもんで、宝石を散りばめたような1979年の洋楽シーンにおいてはさすがのビートルズの楽曲もワンノブゼムでした。翌年のジョンの他界も友人から大事件だと聞かされて、「ふ~ん、そうなんだ~」ってそっけない私の反応に、友人がお前みたいな洋楽バカがこの事件の重大性がわからないのかと憤ったんですが・・・。個人的にはビートルズもクイーンやチープ・トリック、ナックと同列だし、この年にはジョン・ボーナムもキース・ムーンもパトリック・デパイユもなくなっているよといった感じでした。世間がどうであれ、自分の世界が大事な中坊でした。当時のアーティストには感謝の念と敬意を表せざるを得ません。
としさん、うれしいコメントに感謝です。
同じような中坊だったことにシンパシーを感じます。以後、よろしくお願いします(笑)。