チープ・トリックとの再会。

中1の時に洋楽の魅力にはまり、3学期が始まる直前の1月5日に初めて自分の金でレコードを買った。自分の金と言ってもお年玉だからアマちゃんではあるが、ともかく忘れることのできない興奮はクイーンの『ジャズ』によってもたらされた。アルバムを通して洋楽ってのは邦楽の比でないと断定したのは、若さゆえと言わざるを得ない。まっ、あながち間違っちゃいない部分もあったかもしれないが、やはり今考えれば若さゆえの知の暴走である。自分で掘り当てた情報や嗜好を頑なに信じて愛する。そんな青さってのは悪くない。

日に日に洋楽に強くはまっていく。そんな折、チープ・トリックから新譜が届くということでその音がラジオで紹介されテープに残した。それが『ドリーム・ポリス』で『ジャズ』によってクイーンジャンキーになった直後のことだった。タイトルチューンで始まった放送は収録曲9曲のうち6曲を紹介したと記憶している。よくもレーベルが許すなと子供心に思った番組で、僕はテープが擦り切れるんじゃないかというほど聞き込み、3月の発売日に手に入れようと予約までした。が、発売日は大人の事情で伸びていく。武道館ライブがアメリカで売れに売れていて、そのセールスに水を差さないようにとのことだった。

結局発売は約半年延期され、その間テープを聞き込みすぎた。発売の頃には『ドリーム・ポリス』の収録曲の大半をそらで歌えるほどになり、そこに投資するより他に魅力的な選択を見つけてしまう。洋楽の知識も格段につき、また嗜好の変化も起きる。そりゃそうだ、中坊の半年は今の10年分(大げさ!!)ほど成長させる。こうして僕は、瞬間的にはクイーンを超える存在になるかもしれないと感じたチープ・トリックにやや冷めてしまい、中古を格安で見つけて手に入れた『at 武道館』と『蒼ざめたハイウェイ』を聞く程度のバンドにとどめてしまった。

もしも発売延期がなかったら、僕の音楽嗜好は変わっていたかもしれない。というのも、ものすごく高い買い物であるアルバムは、手に入れた以上好き嫌いという判断なんかなく愛さなければならぬと接した。『ドリーム・ポリス』の代替えとなったロッドの『スーパースターはブロンドがお好き』はあまり優れた作品でないと今なら言えるが、当時は心から愛した。おかげで、シンプルなロックサウンドへの導入のひとつになり、ストーンズやフェイセス、ヤードバーズなどに目覚めていく。これらとチープ・トリックは若干ベクトルが異なるから、さほど夢中にならなくなったのだ。

と、長い解説になった。『昭和40年男』に広告も入っているチープ・トリックの紙ジャケ、リマスター、パッケージ再現といった豪華版がリリースされ『ドリーム・ポリス』を手に入れた。針を落としたいところだが、プッシュプレイだ。瞬間、中1の冬へとタイムスリーップ!! 飢えた狼みたいに洋楽を貪っていたあの日。目をキラキラさせてドリーム・ポリスを聞いていた自分と会えた。今更ながらリックのソングライティングのセンスの高さに最敬礼した。70年代の終わりにこのレベルで、しかもライブバンドとしてのロックパフォーマンスも優れていたバンドがいた。いい時代を駆け抜けた俺たちなんだなあ。

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