和食は四季を表現する料理だ。いやいや、イタリアンやフレンチ、中華だって旬の素材を巧みに取り入れて四季を感じさせる。ましてや、日本で商売なさっているシェフたちは、自分の皿に季節を感じさせる工夫を随所に見せる。が、和食の場合はズバリ四季を表現することこそが仕事の核なのだ。それにはセンスと経験が必要で、コストにも跳ね返るから庶民にはなかなか敷居が高くなるが、50過ぎたおっさんなのだからそれなりの店は持つべきで、背伸びすることは必要なんだと自分に課す。
ここは高齢のご夫婦でやっている店で、年に数度清水から飛び降りる。家族でやっているこじんまりした店だから、飛び降りるといってもこのレベルの店として半値以下の印象である。先日久しぶりに訪ねた。ここは週替わりでカウンターの両脇に花を飾る。これは女将さんの仕事だ。席に着くなり、久しぶりの訪問になった非礼を詫びながら花を話題にするのが恒例行事となっている。その儀式を終えると、サッポロの黒ラベルをいただき四季を愛でる楽しい時間がスタートするのだ。
花を飾ってる和食屋で失敗は少ない。ひとくちに失敗と言っても、人それぞれの嗜好は千差万別である。ましてや僕のように舌の悪い奴が言っていることだからいい加減だが、総じて気持ちよく飲食させてくれて四季をしっかりと感じさせてくれるところをいい和食屋と呼ぶ。
よくよく考えると、花を飾る演出は女将さんから親父さんへの叱咤激励なのかもしれない。「花以上に季節を感じさせる一皿を出すのよ」と。そう考えさせるのは、花をただ飾っているわけでなく気持ちが込もっているからだ。そういった店の所作とでもいえばいいか、いたるところに見えて僕をいい気分にさせてくれる。この日も大満足で食事を終え、夏本番に向けて元気をいただいた。枯れる一方のおっさんだが、ひまわりのようにまっすぐに夏と勝負したいものだ。