三角折りが話題になっているそうだが、それとは関係ないトイレットペーパーの話だ。日本の公衆トイレはキレイだと僕は常々胸を張る。大した海外経験があるわけじゃないが、上海や広州のトイレは凄まじかったし、ミラノだって有料なのにひどかった。海外経験の豊富な方々に聞いても、日本の公衆トイレはレベルが高いとのこと。夜遅い時間の駅のトイレのようなひどい時もあるにはあるが、レベルは高いと言えるだろう。
これがガキの頃は誇れたもんじゃなかった。公園のトイレなんかは危険な状態で飛び込む以外には使わない。ペーパーがセットされているのだって当時は珍しく、ポケットティッシュは常に持っていなければいかん。と、今は雲泥の差はメンテナンスしてくださる業者の方々の努力の方が大きいのだろうが、少なからず民度が高くなったと思うと気分がよろしい。オリンピックも近いことだし、キレイな公衆トイレはおもてなしの一つだろう。
が、先日見かけたこれには悲しい気持ちにさせられた。持っていく者が多い場所で、度重り無くなることへの対策だろうから仕方なしだが、僕はこの真新しい鍵をしばし眺めていた。
いいも悪いも、民度について考えさせられることが多い。僕が日本を愛している源がここにあるからだ。粋でいなせで美しい心で四季を愛する。武士道から脈々と続く精神が、長い時を経てもキチンと見え隠れする。もちろん全員がそうでないし、僕だって日々美しい心を目指して奮闘するも反省の方が多いバカ者である。でも少なくとも、向かっていることを諦めたくないから生きるべクトルは曲がっていないと信じている。微力すぎる僕だが、この鍵のようなモノが増えない日本を目指していきたい。
日本人のせいではないと思う。
ここではそれ以上言わないけど(^^;)