初夏の乱心。鍋をつつく昭和40年男。

湯豆腐ほーら、うまそうでしょ。いやいや、もう初夏なのに何やってるんだと突っ込みたい諸氏の方が多いかな。このブログで何度か訴えていることで恐縮だが、僕が最後の晩餐はとたずねられたら、本マグロの赤身かコレと答える。究極のおっさんメニュー、湯豆腐である。

鍋物であるがゆえ4月ごろから登場はめっきり減る。だが真の理由は鱈(タラ)が手に入らないからということが大きい。魚へんに雪ってくらいで寒い時期がうまい魚だ。豆腐もうまいが、油のない白身は豆腐とともにおっさんの舌を喜ばせてくれる。理想はひとしおの新鮮なタラで、見つからない時は新鮮な生に塩をしてしばし置く。輸入物や解凍の物は使わない僕だ。北海道や東北のいいの

が見つかると夏でも汗をかきながら鍋をつつく。うまいうまい。

カレーのような味の足し算ももちろんよいが、こうした一つ一つの素材の存在を確かめながらいただく料理っては心にまで染み渡る。昆布だし、湯飲みに貼られた醤油には鰹節とネギがたっぷりと入っている。そして淡白でありながらまったく別の味わいでいただく豆腐と鱈。あー、日本人でよかったと長時間にわたって唸り続けるメニューがこいつである。

まぐろの赤身が素晴らしいのも同様で、しっかりどっしりとした赤身のまったりとした食感と香り、味はまるでいくつもがさりげなく主張しあって、ほのかな渋みとでも言ったらいいだろうか表現しがたい味が見え隠れするのを醤油とわさびのハーモニーでまとめあげる。極上である。いつになっても最後の晩餐メニューを決められない昭和40年男だ。

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